被災地ボランティア報告(その2)

(以下の記事は3月11日にgooブログhttp://blog.goo.ne.jp/tomita-naoki/にアップしたものです)

今日で大震災からまる2年。

昨日参加した行動のことも書きたいのですが、 その前に、 途中だった2月末のボランティアの報告の続きを書きます。

石巻市、河南地区の押切沼仮設住宅(124戸)に地元の軽トラックと我々の車で伺い、 あらかじめ港地区からのボランティアや地元スタッフの方々が各戸分仕分けしてくれていた、 米、じゃがいも、玉ねぎ、タオルなどを、 一軒ずつ声をかけながらお届けしました。

玄関先に出てきてくれるのは、年配の方も多いですが、若い方もけっこう

「いつもがんばってくれているのは共産党だ」との言葉を下さった方も。

お届けの後、団地の集会所でバザー(衣類や日用品)も行うことができました。

会場に見えていた住民の方の中には、「仮設からも出たいけど、(復興住宅に入れたら)今度は家賃払わなきゃなんない。収入はない。どっちがいいんだか」という方もおられました。

コメの仕分け

午後はセンターに戻り、次のボランティアに届けてもらうためのコメの仕分け作業。 全国から集まった現金で、地元の農作物を買い、お届け物資にしているとのことでした。

1世帯にお渡しする2キロずつ量り、袋に移していきます。

30キロある大きな袋を持ち上げて開けるときは、若い学生の力が頼もしい!

日和山から

この日の作業を終えた後、 市内の様子をセンターの方が案内してくれました。日和山から、被害のすさまじさを見ます。

おととしのような生々しい臭いなどはありません。 しかし、更地の多くは、今後建物を再建することもできないところだと聞きました。

この広大な更地には多くの住宅やお店、さまざまな営みがあったはず。 そこにいたはずのたくさんの人。一人ひとりに生身の人生があります。

「復興」などと一言ではとてもじゃないがくくれない、 先の長さと事態の深刻さを思い知らされました。

市立病院

門脇(かどのわき)小学校付近から石巻市立病院跡だけが見えます。

門脇小近くの津波

真ん中の錆びた柱は、 「津波はここまできた」ではなく、さらに上を見よということです。 左の柱の上には、「6.9M」と書いてありました。 なお、真ん中の柱は津波でもちこたえたのではなく、流されたものをここに再び建てたようです。

日本製紙工場

更地や廃墟のなかで唯一生きた姿を見せていたのは、 石巻ではほかの1社とともにいち早く税金を投入され、再開している、 日本製紙の巨大な工場でした。

 

2013年3月21日 11:24 AM | カテゴリー: 震災、原発、災害、募金

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