チェルノブイリ事故から27年。官邸(国会)前行動に参加

(以下の記事は4月27日にgooブログhttp://blog.goo.ne.jp/tomita-naokiにアップしたものです)

26日で、チェルノブイリ原発事故から、27年。 手元に、「DAYS JAPAN」4月号があります。 この特集「チェルノブイリ読本」を読むと慄然とします。

子どもたちの発病、死と放射能の因果関係を否定し続けた政府や学者たち、IAEA。 親、国民が立ち上がっていくなかで、 「保養」についての法律ができ、政府も施設の建設費の半分を負担することになりました。

26日で、チェルノブイリ原発事故から、27年。 手元に、「DAYS JAPAN」4月号があります。 この特集「チェルノブイリ読本」を読むと慄然とします。

子どもたちの発病、死と放射能の因果関係を否定し続けた政府や学者たち、IAEA。 親、国民が立ち上がっていくなかで、 「保養」についての法律ができ、政府も施設の建設費の半分を負担することになりました。

冨田

ちょうど金曜。官邸前行動のファミリーエリアに何週間かぶりに参加できました。 行く前にツイッターで参加を表明していて、気合が高まっており、 脱原発行動では初めてマイクを志願しました。

子どもの給食をめぐる経験や、

「簡単な補助的な仕事」と言われて、 事故後の福島第一原発でタコ部屋的な待遇で働かされた方と出会った話を紹介し、

弱い失業者などに被ばく労働を今も強いていることを忘れずに、力を合わせて原発をなくしたい決意を話させていただきました。

行動が終わった時、参加者の一人から「実感のこもったお話でよかった」と言っていただきました。

ハト風船

風船で素敵なハトを作って、司会の紫野明日香さんにプレゼントした方がいて感激でした!

村本ひろやさんと冨田

墨田区から都政に挑戦する村本ひろやさんと。

宮本徹さんも参加、27年前、中学生だったときに反核運動に参加していたが、 原発幕す運動に加わっていれば、との思いを心を込めて語っておられて、 共感しました。

それにつけても日本政府は、 スイスのジュネーブでの核不拡散条約(NPT)再検討会議で スイスなど70か国以上が支持した、 核兵器の非人道性を指摘した共同声明に対し、 「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことは人類生存の利益」との表現が気にくわないので賛同しないと表明しました。 誰のほうを向いているのかと、憤りを感じます。

昨日もネット上ですでに、日本政府の対応に反対の声がたくさん上がっています。

 

2013年5月1日 6:23 PM | カテゴリー: 震災、原発、災害、募金

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被災地ボランティア報告(その2)

(以下の記事は3月11日にgooブログhttp://blog.goo.ne.jp/tomita-naoki/にアップしたものです)

今日で大震災からまる2年。

昨日参加した行動のことも書きたいのですが、 その前に、 途中だった2月末のボランティアの報告の続きを書きます。

石巻市、河南地区の押切沼仮設住宅(124戸)に地元の軽トラックと我々の車で伺い、 あらかじめ港地区からのボランティアや地元スタッフの方々が各戸分仕分けしてくれていた、 米、じゃがいも、玉ねぎ、タオルなどを、 一軒ずつ声をかけながらお届けしました。

玄関先に出てきてくれるのは、年配の方も多いですが、若い方もけっこう

「いつもがんばってくれているのは共産党だ」との言葉を下さった方も。

お届けの後、団地の集会所でバザー(衣類や日用品)も行うことができました。

会場に見えていた住民の方の中には、「仮設からも出たいけど、(復興住宅に入れたら)今度は家賃払わなきゃなんない。収入はない。どっちがいいんだか」という方もおられました。

コメの仕分け

午後はセンターに戻り、次のボランティアに届けてもらうためのコメの仕分け作業。 全国から集まった現金で、地元の農作物を買い、お届け物資にしているとのことでした。

1世帯にお渡しする2キロずつ量り、袋に移していきます。

30キロある大きな袋を持ち上げて開けるときは、若い学生の力が頼もしい!

日和山から

この日の作業を終えた後、 市内の様子をセンターの方が案内してくれました。日和山から、被害のすさまじさを見ます。

おととしのような生々しい臭いなどはありません。 しかし、更地の多くは、今後建物を再建することもできないところだと聞きました。

この広大な更地には多くの住宅やお店、さまざまな営みがあったはず。 そこにいたはずのたくさんの人。一人ひとりに生身の人生があります。

「復興」などと一言ではとてもじゃないがくくれない、 先の長さと事態の深刻さを思い知らされました。

市立病院

門脇(かどのわき)小学校付近から石巻市立病院跡だけが見えます。

門脇小近くの津波

真ん中の錆びた柱は、 「津波はここまできた」ではなく、さらに上を見よということです。 左の柱の上には、「6.9M」と書いてありました。 なお、真ん中の柱は津波でもちこたえたのではなく、流されたものをここに再び建てたようです。

日本製紙工場

更地や廃墟のなかで唯一生きた姿を見せていたのは、 石巻ではほかの1社とともにいち早く税金を投入され、再開している、 日本製紙の巨大な工場でした。

 

2013年3月21日 11:24 AM | カテゴリー: 震災、原発、災害、募金

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被災地ボランティア報告(その1)

(以下は3月6日にgooブログhttp://blog.goo.ne.jp/tomita-naoki/にアップした記事です)

 

草吹天明さん、原のり子さん、大変遅くなりましたがコメントありがとうございました! 今後ともどうぞよろしくお願いします。

説明を受ける

 

遅まきながら、 2月25~27日に、日本共産党千代田地区委員会が行った被災地ボランティア (正確な回数が恥ずかしながらわからないのですが、千代田地区からは20回近くになります) の責任者として、宮城県に行ってきました。

今回は大学生、この春から大学生になる青年、小学生と中学生のお子さんがいる主婦、30代の社会人と、私の5人が参加しました。

まずは石巻市にある共産党東部地区の震災・救援対策センターへ。 様子の概要を伺いました。 このセンターの守備範囲は石巻市、東松島町、南三陸町、女川町。震災であわや大惨事だった女川原発を抱える地域です。

石巻仮設リスト

 

仮設住宅は石巻市だけで134か所にもなり、

南三陸の仮設

南三陸町や東松島町などでは、 まだ大規模な仮設や交通の便が悪いところなど、 党のボランティアがまだ足を踏み入れられていないところも残されていることを聞きました。

復興(公営)住宅は石巻市内で必要7000戸に対して、 予定が立っているのは4000戸、 できたのは1箇所だけだそうです。

折しもこの時期の2月25日付朝日新聞など各紙で報道されたように、 復興住宅のめどがたたないので、 現在3年間となっている、 仮設住宅の入居期限を4年に1年延長する国の方針が出ました。

2013年3月20日 4:26 PM | カテゴリー: 震災、原発、災害、募金

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「みんなの力で」!首相官邸前ファミリーエリアに参加しました

桜田門

 

総選挙のあと始末に続き、 千代田区長選、私の風邪、息子のインフルエンザなどてんてこ舞いで、 この間は参加できていなかった、 「キンカン」こと、原発再稼働反対の首相官邸前行動に、今年になってからは初めて参加しました。

上の写真は、桜田門駅の、まさに桜田門の目の前の出口を出たところ。

この間は、もっぱら「ファミリーエリア」に行くようにしています。

ファミリーエリア

今回も、シャボン玉が舞う中の発言やコールでした。

女子高生の「北朝鮮の核実験については報道されるのに、日本がやっていることはどうなのか。原発推進・輸出という、似たようなことをしているのではないのか」という趣旨の勇気ある発言に励まされました。

今日は、青年劇場の演劇「臨界幻想2011」を観て、人間の痛みや利権が温存されてきた社会の在り方をえぐった芝居に強い衝撃・感銘を受けた直後でした。

遅れて到着したら、 吉良よし子さんや、宮本徹さんも来ていました。

コールは、マイクをにぎる人によって若干言葉が違いますが、「原発いらない」「子どもを守ろう」「再稼働反対」などのおなじみの言葉とともに、 私が特にグッとくるのは、「政治を変えよう」「みんなの声で」「みんなの力で」という言葉です。

コールのさなかも息の白くなる、寒い中でしたが、参加したみんなと一緒に、「命を守る・政治を変える・みんなの力で」この熱い思いで声を上げてきました。

2013年2月16日 7:08 PM | カテゴリー: 震災、原発、災害、募金

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経団連会館前抗議行動(反原連)に参加しました

昨日、ツイッターやフェイスブックではお伝えしましたが、
大手町の経団連会館前で急きょ行われた、反原発首都圏連合の行動に参加しました。

大手町は神田の隣。「政財官のお膝元」で活動する者の一人として、この日に行かないわけにはいかない!の思いで参加しました。

子どもを保育園に迎えに行き、義母に託し、現地に着いたときはこんな様子でした。

これまでも、原発再稼働に限らず、「特区」構想や除染ビジネスなどで復興を財界の食い物にしてきたり、

研究開発減税、連結納税制度などで大手企業のみ法人税を優遇して国の税収を減らし、

法改正させてまで派遣労働を原則自由化→さらに製造業にまで拡大し、
国民の所得を減らし、経済を疲弊させてき、

社会保障の削減路線を続けさせ、弱い国民の間に分断を持ち込み、

介護や保育といった、本来「もうけ」とは相容れない分野に
株式会社が参入するためのハードルをひたすら下げるなど、
るなどなど、

多くの国民の願いとかけ離れた政治が行われてきました。
そのおおもとには、日本経団連に代表される財界の利益第一の政治があると、日本共産党は主張してきました。

私は、今回の民主党政権の「『原発稼働ゼロ』閣議決定見送り」劇は、
もともと核燃料サイクルを継続をうたっていた点、「2030年代末」など、
そもそも「本気の政策」ではなかったので、
「やる気だったのに挫折させられた」という性格のものではないと考えますが、

国民の粘り強い運動の積み重ねでまったくいう気のなかった「ゼロ」という単語を言わせたこと自身は、きわめて欺瞞的ながらも、歴史を前に動かす途上の出来事なことは間違いないと思うのです。
この日も「声を上げてこなかったら、(民主党から)ゼロという言葉は出てこなかった」という趣旨のことを主催者の一人はおっしゃっていました。

その点を脅威に感じたのでしょう。
極めてごまかしだらけの政府の方針ですら「許さん!」という財界3団体のふるまいは何様でしょう?
これを「横暴」と言わずして何といえばいいのか!?

ふざけた国民無視の政治を長年にわたって続けてきた元凶の一つ、財界の総本山とその会長に、国民の怒りの声がまっすぐ向かったのは、
とても、とても画期的なこと

大手町は千代田区ですから、私も日刊「しんぶん赤旗」をお届けに上がっていました。
その経団連会館、電気事業連合会も入っているこの建物の前で、
国政の基本問題で、集まった1300人と一緒に声をぶつけることができ、感慨を覚えました。

行動の終わり際に「なくすまであきらめないぞー!」という声があがったように、
たたかいはまだまだこれからですが。

帰りには、ツイッターをフォローしてくださっている方と出会い、大いに意見交換、エール交換させていただきました。
いろんな仕事や体に事情を抱えながらも、
懸命にこうした行動を成功させるために、孫子の世代のために文字通り身体にムチ打っておられる方だとお話ししていくうちにわかり、とても胸打たれました。

子の方は、尖閣問題での、志位委員長を先頭にした行動も注目してくだっていました。

私は幸い元気。まだまだ若い。政治を変えさせない「本丸」をただす力を自ら大きくしていく決意も新たにしました。

2012年9月26日 9:25 AM | カテゴリー: 震災、原発、災害、募金

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