活動日誌

2009年12月20日(日)

「集まれ! 平和好き」VOICE主催の平和企画に参加

滝野川会館で、VOICE(被爆体験を語り継ぎ、核兵器の使用を許さない北区青年の会)主催の平和企画が開かれ、青年ら20人が参加しました。

VOICEが編集した被爆証言DVDを鑑賞したあと、日本共産党の八百川孝区議が情勢報告。核兵器廃絶や日米軍事同盟をめぐって活発な質疑が交わされました。

2009年12月16日(水)~18日(金)

日本共産党北区議員団で広島に視察

日本共産党北区議員団は12月16日から18日まで、広島県を視察しました。

17日に福山市を訪れ、広島県立歴史博物館や鞆の浦を視察、その後、広島市に入りました。

この日、広島県被爆者団体協議会の方々からお話をうかがいました。これまで原爆症認定の集団訴訟では、21回連続の原告側勝訴をかちとり、先の臨時国会では、全面解決にむけた第一歩となる原爆症基金法が成立しました。被爆者と支援者のねばり強いたたかいが、国を突き動かしています。

一方で、被爆者の高齢化により、被爆体験をどう次の世代に継承してゆくかが大きな問題になっています。被爆者団体でも、被爆2世の組織化や、高校生など若い世代を対象にした碑めぐりの運動にとりくんでいるとのことでした。

私は、北区でも16年前から若者が中心となって被爆体験を語り継ぐ運動をすすめてきたことを紹介、「貴重な体験を風化させず、核兵器廃絶への力にしましょう」と交流を深めました。

18日には、原爆ドームと平和祈念資料館を視察。あらためて原爆被害の大きさ、恐ろしさを認識させられるとともに、「核兵器のない世界を」の国際世論が広がるもと、来年のNPT再検討会議にむけて核廃絶の明確な一歩が踏み出せるよう力をつくさねば、との決意を新たにしました。

2010年を平和の願いがかなう年にしましょう。

2009年12月12日(土)

志茂・赤羽後援会「区政報告会」で報告

赤羽会館で、日本共産党志茂・赤羽後援会主催の「都区政報告会」が開かれ、25人が参加しました。

最初に、そねはじめ前都議が都政問題について報告。都議選前には都立小児病院廃止計画に反対していた都議会民主党が、選挙後には賛成に豹変するなど、都民の願いを裏切る態度をしめしていることを批判、医療切り捨ての計画をやめさせるため、ともに声をあげようとよびかけました。

続いて、私がスライドを使いながら区政問題について報告しました。

日本共産党北区議員団が来年度予算編成にむけて、区民のみなさんと懇談を重ねながら351項目におよぶ予算要望書を区長に提出したことを紹介し、区民要求の実現に全力をあげる決意をのべました。

また、生活保護受給者を対象にした「貧困ビジネス」――無料低額宿泊所問題や、北区から駐輪場管理業務の委託を受けた業者による賃金未払い問題をとりあげ、日本共産党の追及で、一定の改善をかちとっていることを報告しました。

区役所庁舎問題では、区が区民との合意もないまま、数百億円もかかる移転・建替えをすすめようとしていることを明らかにし「区は説明責任を果たすべき」と訴えました。

2009年12月9日(水)

ほくと医療生協が学習会 スティーブン・リーパー氏が講演

赤羽会館大ホールで、東京ほくと医療生協主催の学習会「核兵器のない世界を――世界の変化と平和市長会議の取り組み」が開かれ、広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパー氏が記念講演をおこないました。

「いま世界は戦争文化から平和文化へ切り替わる時です」と切り出したリーパー氏は、アメリカの力が弱体化し、オイル(油)の争奪をめぐって激しい競争の時代に突入しているもとで、世界がこれを平和的に解決するのか、殺し合い=戦争で決着をつけるのか、岐路に立っていると指摘。「戦争を止めるのがわれわれの仕事だ」と強調しました。

リーパー氏は「核のない世界」を訴えたオバマ演説を高く評価するとともに、「いまこそ『日本のガイアツ(外圧)』が必要だ」と喝破。日本が「核をつくらない」「核をなくせ」「日本に米軍基地はいらない」とはっきり発言することが、アメリカと世界を変える大きな力になると訴えました。

どうしたら核はなくせるのか――この問いにリーパー氏は「部分的措置の積み重ねでは核廃絶の先延ばしにしかならない。来年5月のNPT再検討会議にむけ『核兵器廃絶にむけた国際交渉を始めよ』の世論を大きくすることが何よりも大事だ」と強調。「サッカーでは90分走り回ってシュートのチャンスはほんの数秒。核兵器をなくすには、今がまさにシュートのチャンスです」とよびかけました。大変勉強になりました。