活動日誌

2011年8月26日(金)

小柳川公園? みどりの公園? (仮称)志茂3丁目公園の名称、利用者アンケートで決定へ

志茂まちづくり協議会の第3回総会が、志茂東ふれあい館で開かれました。日韓親善協会の役員会議が終わってから駆けつけたので、私は途中からの参加となりました。

前回までのワークショップもふまえ、区から日本化薬研究所跡地に整備予定の(仮称)志茂3丁目公園の整備計画がしめされ、来年の3月オープンにむけて、いよいよ工事が始まることが報告されました。

志茂3丁目公園

また、新しい公園の名称については、

  1. 志茂3丁目小柳川公園
  2. 志茂3丁目みどりの公園
  3. (新たな名称の募集)

という3つの選択肢から、地元町会や小学校など、利用者へのアンケートをとり、最終的には志茂まちづくり協議会で決定しようということになりました。

「小柳川」というのは、この公園がある地域にかつて流れていた川の名前です。いまは暗渠となっていますが、地元の人にとっては大変懐かしい名前だと聞きました。みどりの公園というのは、まさに今回の公園の特徴をズバリ現した名称です。

多くのみなさんの意見を聞いて、名称を決めてゆきたいと思います。

志茂まちづくり協議会

ほかに、志茂4丁目まちづくり用地の取得、主要生活道路の拡幅、FM波を使った放送実験など、今後の防災まちづくり活動についても、報告がありました。

総会ではまた、新たに19人の役員を選出しました。今後とも、志茂のまちづくりのために、お骨折りをいただくことになりますが、よろしくお願いいたします。

2011年8月26日(金)

第2回北区日韓親善協会役員会議に出席

第2回目の北区日韓親善協会役員会議に出席しました。

最初に報告事項として、先日お招きいただいた第66周年光復節中央記念式典の感想を求められました。私は、日本の植民地支配から解放された日として祝う8・15の体験を通じて日韓両国に横たわる歴史問題を身近に感じ、「苦難を乗り越える」民族としてのコリアンの心意気を受け止めたことをのべました。

協議事項では、

  1. 民団員、日韓協会会員等と地元選出の都議会議員、区議会議員、日韓協役員との要望や質疑応答形式の懇談会の開催
  2. 忘年会の開催
  3. 東京日韓親善協会連合会35周年祝賀会への参加
  4. 日韓の文化交流会等について
  5. 予算案の承認

などについて討議しました。

今年度の日韓親善協会の活動は、民団側の意欲的な姿勢がしめされたもので、来年に予定されている日韓文化交流会は協会としても初めてとりくむ企画だとのことです。

年々会員数が減っているという報告もあり、新たな意気込みで協会の活動にとりくもうと決意を固めあいました。

2011年8月25日(木)

子を思う母親たちは強く、賢く、たくましかった

「好評につき第2回お茶会を開催致します! ★申込みの必要なし ★途中出入り自由です(^o^) ★お気軽にご参加下さい♪」というホームページのよびかけに誘われて、同僚の山崎たい子、本田正則両区議とともに、赤羽会館で開かれた北区子どもを放射線から守る会の会合に参加しました。

最初こそ閑散としていた会場ですが、幼子を抱いたお母さん方が次々とやってきて、たちまち和室は満杯に。大声をあげ、飛んだり跳ねたり追っかけっこをしたりする子どもたちに囲まれながら、お茶会がスタートしました。

自己紹介では、放射線被害への不安や心配の声が相次ぎました。

「5月中旬から放射線のことが気になり、ネットで調べ始めたら胸がバクバク鳴りはじめ、朝まで検索してしまった。今までのことをすべて後悔した」

「妊娠中に原発事故。『妊婦は沖縄くらいまで行かないと危ない』などといわれ、本気でうつになりそうだった。子どもには牛乳は飲ませない。帰ってきたら即シャワーを浴びさせてます」

「放射線について一人で調べて、怖くなって、生きている意味さえ考えた。この子を産んでよかったのか、とも。今はただ、放射線の影響を気にしている人たちとつながっていたい」

「保育園に給食や水が心配だと相談しても『国は安全だといっている』『うちの園には測定器もないから放射線量は測れない』といわれ、自分の子は自分で守るしかないと思った。神経質になりすぎないようにしているが、実の親にも気持ちが理解してもらえないのがつらい」

などなど。

子どもを守る会

会のメンバーだけでなく、ネットやtwitterで知って初めて参加したというお母さんも何人かいました。だれもが「放射線からわが子を守りたい」という強い気持ちをもっていましたが、共通していたのは「こんな心配をしているのは私だけ?」と悩んでいることでした。まだまだ放射線の影響については、感じ方に大きな温度差があるようです。

しかし、これだけの人が集まって交流できたことで「迷っていたけど、やっぱり来てよかった!」「今日はホントに勇気づけられた」という発言も出て、最後までにぎやかなおしゃべりが続きました。

私たちも党議員団としてとりくんだ放射線量測定結果や区への要請内容などを紹介し、不安や心配をとりのぞくためにがんばることを伝えました。

こうした草の根ともいえる運動をもっともっと大きくし、国や自治体を動かすようにしていかなければ、と決意するとともに、子を思う母親たちの強さ、賢さ、たくましさを痛感させられたお茶会でした。

2011年8月15日(月)

66回目の韓国解放記念日に光復節中央記念式典参加

今年度、新たに北区日韓親善協会の役員に推挙していただき、微力ながら日韓親善のために働かせていただくことになりました。

そんなこともあって、今日は、民団北支部のお誘いをうけて、日比谷公会堂で開かれた第66周年光復節中央記念式典に参加してきました。「光復節(クァンボッチョル)」とは、光を回復した日、すなわち朝鮮が日本の植民地支配から解放された1945年8月15日を指し、韓国では解放記念日とされています。これまで私は、日本の終戦記念日として特別な日と感じてきましたが、韓国人の目から見た8・15を体験したのは初めてでした。

11時から始まった記念式典では、民団東京地本の金団長、中央本部の鄭団長があいさつし、申駐日特命全権大使が李明博大統領の祝辞を代読しました。

光復節01

続いて日本の各党代表が順次来賓としてあいさつし、日本共産党からは緒方靖夫副委員長が演壇に立ちました。緒方さんは、両国の友好関係を考えるうえで日本の侵略戦争と植民地支配への反省が欠かせないこと、非核のアジアをつくるために6ヵ国協議の再開に努力することなど、日本と韓国の間に横たわる課題を明快に指摘。先の大戦中、弾圧を受けながらも日本軍国主義の侵略戦争と植民地支配に抗してたたかった日本共産党の歴史を紐解きながら連帯の言葉をのべました。

光復節02

式典では、日本による侵略を免罪する歴史教科書を厳しく批判し、自治体で採択しないようよびかける決議文が採択されました。

第2部に移ると、雰囲気がぐっと変わって、東京の民団各支部対抗のど自慢大会、芸能ショー、福引き大会と、楽しいプログラムが用意されていました。のど自慢大会は、各区の民団支部が趣向をこらして歌や踊りを披露。なかには衣装までそろえ、みっちり練習も積んでステージにのぞんだ支部もありました。

芸能ショーでは、在日3世のLIMさん、日本でも活躍しているリン・ユミさん、「韓国の氷川きよし」と紹介されたジウォンさんが持ち歌などを熱唱、会場を盛り上げました。

光復節03

ショーの最中も、司会者が何度も「コリアンらしく苦難を乗り越えるために元気をだそう」と合いの手を入れていましたが、35年もの植民地支配に加え、戦後も2つの朝鮮の分断と、国家的苦難にたちむかってきた国民としての心意気を感じさせるものでした。そういえば、記念式典でも東日本大震災に際しての「苦難を乗り越える」協力について多くが語られてたのも、そうした心情からかもしれません。

北区の民団のみなさんから2次会のお誘いもうけ、楽しく交流もして帰途につきました。今回のことを機に、まったくわからなかったハングルも、少し勉強してみようかという気持ちになりました。

2011年8月14日(日)

平和のための北区の戦争展を見学

戦後66年目の終戦記念日を明日にひかえ、昨日から北とぴあで開かれている平和のための北区の戦争展を見学してきました。

会場内には、日清・日露戦争から太平洋戦争までの歴史、戦後日本の復興と日米安保条約、核兵器廃絶運動など、テーマごとに資料や写真が展示してあり、女性、日中友好、障害者、被爆者などの団体、区内各地の九条の会なども、それぞれ独自のコーナーを受け持って展示をおこなっていました。

戦争展01

証言コーナーでは、被爆者の体験に続き、特攻から生き残った元日本兵の方が、当時の戦争体験を生々しく証言していました。

戦争展02

今回の戦争展では、福島原発事故をめぐっての特別展示コーナーが設置されました。広島・長崎の原爆も、核エネルギーで動く原子力発電も、原理は同じです。いったん暴走すれば、人間の手では制御できない原発。その恐ろしさを、いちばんよくわかっているのが、被爆者のみなさんです。

私もこれまで、北区の被爆者の体験を後世に残す運動にとりくんできましたが、核兵器廃絶の運動とあわせ、原発からのすみやかな撤退を求める運動にも、力を尽くしてゆかなければならないと実感しました。

戦争展03

今回で17回目を迎える戦争展ですが、準備をしていただいているみなさんも、だんだん高齢化しています。新たな決意でこうした企画を準備する若い人たちを育成することも、運動の重要なテーマだと思います。

2011年8月13日(土)

お盆を八王子で過ごしました

本当に暑い日が続いています。今日は、お盆休みということで、八王子の妻の実家に、日帰りで出かけました。

義理の両親に義妹夫妻、日本共産党日野市議でもある義姉も合流し、飲んだり、食べたり、高校野球を観戦したりと、久しぶりにゆったりとした時間を過ごしました。

そんな中で、周囲の注目を一身に集めたのが「ももちゃん」。義妹夫妻が、ひと月ほど前から飼いはじめたチワワで、今日は家族みんなに紹介してもらうために、車で飼い主に同伴しました。

ももちゃん

最初は室内用ケージの中でおとなしく寝ていたももちゃんですが、お腹も空いてくると立ち上がっておねだりしたり、指をペロペロなめたりと、構ってほしそうに立ち振る舞います。ケージから出してあげると、元気に部屋中を走り回りました。

「生まれたばかりの時はプックリと太ってて、『これ、チワワになるの?』ってブリーダーの方に聞いちゃいました」と義妹。今では立派なチワワになりました。

夜まで、ももちゃん話で盛り上がり、赤羽の自宅に戻ってきたのは、9時半すぎでした。

2011年8月11日(木)

放射線から子どもを守る対策など北区に申し入れ

ホットスポットの出現や食品汚染の広がりなど、放射能汚染の影響はいっそう深刻さを増しています。この間、私たち北区議員団がおこなった独自の測定調査では、豊島東公園(0.25μSv/h、以下単位同じ)、赤羽公園(0.27)、東田端公園(0.28)、八幡通り児童遊園(0.29)など、局地的な高線量地点が発見されました。

そして、王子五丁目団地のピットの泥からは、ついに0.47という値が検出されてしまいました。

こうした事態をうけて本日は、日本共産党北区議員団としてあらためて北区に対し、放射線から子どもを守る対策を申し入れました。あわせて、区民のくらしを守るための要請もおこないました。

第6次申し入れ

花川区長は夏休みということで、山田副区長に対応していだきました。また、清正健康福祉部長と長尾生活環境部長も同席しました。申し入れ内容については、こちらをご覧ください。

北区として放射線の再測定を急ぎ、ホットスポット対策をとるよう求めたのに対し、山田副区長は「まちかどトークでも要望が出ている。(国や東京都などに)明確な基準を決めてもらわないといけない。とにかく測定することだけはできる」とコメント。上からの指示まちではなく、除染などの対策も、足立区や川口市のように、区として率先しておこなってもらいたいものです。

区民のくらしに関わっては、私から、赤羽駅改修計画についての住民説明会の再開や、流動シミュレーションを公表するようJR東日本に求めてほしいと重ねて要請しました。

2011年8月9日(火)

第8回新庁舎建設基本構想検討会開かれる

北とぴあで、第8回北区新庁舎建設基本構想検討会が開かれました。私は議会選出の委員として出席しました。

今回は主に、事業手法と財源対策の考え方について議論しました。

事業手法については、北区自身が事業者へ発注する公共直営(従来方式)か、契約した民間企業に一括して事業を委託するPFI方式かを検討。私は、PFIを導入してスタートしながら、違約金を払って契約解除という結果になった近江八幡市立総合医療センターや高知医療センターの例をあげ、「民間まかせではなく地元中小業者への発注や、地元の雇用をふやせる従来手法でいくべきだ」と主張しました。

財源対策については、区有地に建てるのか土地を取得して建てるのか、敷地面積を8,000㎡とするか12,000㎡とするか、積立金を40億とするか90億とするか、などさまざまなシミュレーションをおこなった上で、おおむね150億円から320億円の財源が必要だと説明がありました。

私が区に「現在の敷地を売却した場合、どれくらいの値段で売れると予想しているか」と尋ねると「厳しくみても30億円」との回答。また「建設候補地についての検討内容や到達点を教えてほしい」との質問に対しては「残念ながら、まったく進んでいない」と答えが返ってきました。

検討会では建設地の見通しがまったく立たないまま、11月には基本構想案をまとめ、区長へ報告。パブリックコメントをへて、来年2月までに基本構想を策定する予定となっています。

スケジュール

2011年8月6日(土)

北区革新懇 政治革新を語る納涼のつどいに参加

北区革新懇の政治革新を語る納涼のつどいが、滝野川東区民センターで開かれました。

河野啓子さんによるヴァイオリンのミニコンサート、「しんぶん赤旗」記者の中祖寅一氏による記念公園というプログラムでしたが、所用のため遅れて会場に到着すると、すでにこの2つの企画は終了。まさに第2部のスタートを飾る乾杯の瞬間でした。

第2部では食事を楽しみながら、各界・各分野からの参加者の発言が続きました。日本共産党北区議員団からは、八巻直人幹事長、本田正則、ながいともこ、私と4人が紹介され、あいさつをしました。

東日本大震災や原発事故への対応を契機に、国民の意識が大きく変わってきている時だけに、平和・くらし・民主主義を守るために活動する革新懇の役割がいっそう重要になっています。真の政治革新めざして、さらにがんばってゆきます。

2011年8月5日(金)

知られざる公園のルーツが明らかに――第3回赤羽公園遊具説明会開かれる

撤去か、改修か、新設かと、昨年末から議論が続いていた赤羽公園の遊具問題。今日は、北区による第3回目の遊具説明会が、元気ぷらざで開かれました。

残念ながら、区からの周知が行き渡っておらず、参加者は前回よりも少数でしたが、中身の濃い議論ができたと思います。

これまでの経緯について道路公園課から一通りの説明がおこなわれた後、43年前に赤羽公園をつくった株式会社ANS(当時は前田屋外美術)から、建設の時代背景や遊具に込められた思いなどについて、スライドでの説明がありました。

その中で、赤羽公園のシンボルともいえる「大空の門」(アーチ型すべり台)についての秘話が紹介されました。

戦争で焼け野原となった赤羽でしたが、赤羽公園が建設された1968年当時、まちは赤羽台団地がつくられた西側から開けてきており、その開発・発展の方向は、東口側へと向いていました。この「新しいまちづくり」の矢印の、まさに入口につくられたのが「大空の門」でした。

この造形遊具は、単に公園の象徴であるだけでなく、赤羽のまちづくり全体とその発展を表現する建造物だったのです。

この証言をしたのは、いまも健在でいらっしゃる「大空の門」そのものを設計したデザイナーとのこと。今回、プレゼンをおこなうにあたり、この方に取材をしたところ、「まちづくりと公園の議論が久しくなかったために忘れていたが、赤羽公園をつくる時には、区といっしょにこうした熱い議論をしたものだ」と語ってくれたそうです。

私をふくめ、参加者はみな、知られざる赤羽の歴史に感銘を受けるとともに、「大空の門」の文化的価値について認識を新たにしました。

最後に道路公園課長から、遊具アンケートの結果は尊重しつつも、「大空の門」はモニュメントとして残してゆくこと、撤去したキリンのすべり台はサイズを小ぶりにして新設すること、仮囲いで遊べない状況を急いで改善するためにコンクリートの木の撤去と幅広すべり台の改修をおこなうこと、撤去したコンクリートの木跡地に小型のコンビネーション遊具を設置すること、という新たな提起がありました。

長く議論を続けてきた赤羽公園の遊具問題も、ようやく向かうべき方向性が見えてきた思いがします。

2011年8月5日(金)

特養ホームつつじ荘の納涼会を見学

昨日のあじさい荘に続き、今日は上中里つつじ荘の納涼会がおこなわれ、ご招待をいただきました。同じ健康福祉委員の、さがらとしこ議員と新人の、ながいともこ議員とともに参加しました。

開会のセレモニーの後、定番の和太鼓、お囃子で会場がにぎやかになります。笛と太鼓にあわせて、ひょっとこ、おかめも登場し、来場者を楽しませます。

入所者のみなさんも車いすでステージにやってきて、のど自慢が始まりました。年に1回の夏祭りを、家族のみなさんともども楽しんでいる様子でした。

2000円の参加券を購入し、おでん、カレー、やきそば、かき氷、つくねと食べ歩きましたが、途中で満腹となり、フランクフルトや綿菓子はあきらめました。

北区ではまだ900人が特別養護老人ホームの入所待ちです。再来年には旧新町中学校跡地に新たな施設が完成しますが、その後の建設計画を急ぐ必要があります。

2011年8月4日(木)

特養ホームあじさい荘の納涼会を見学

毎年この時期におこなわれている特別養護老人ホームの納涼祭。今日は中十条にある「あじさい荘」でのお祭りのご案内をいただき、見学してきました。

いつもは中庭にステージをつくっておこなうオープニングセレモニーですが、雨の心配があるということで室内に変更。日本共産党北区議員団から参加した、ながいともこ議員と私もご紹介を受けました。

和太鼓のにぎやかな演奏とともに、納涼祭がスタート。カレーライス、やきそば、おでん、フランクフルト、すいかなど、会場いっぱいに出店が並び、入所者のおじいちゃん、おばあちゃんたちは、家族といっしょに食事を楽しんでいました。

会場で、3年ほど前まで施設長をつとめていたTさんとお会いしました。「自分がやめて数年しか経っていないのに、知っている職員は2割くらいに減っている」とおっしゃっていましたが、介護職員のおかれた現状が痛いほど伝わりました。13年前の開所の頃に勤めていたという元職員の男性も「介護は人だ。給料の引き上げなど、もっと職員の待遇を改善してやってほしい」と語ってくれました。

なお、Tさんから「退職して、今は『老人ホームの選び方』というブログを書いています」とご案内をいただきました。さっそくのぞいてみましたが大変面白いので、紹介しておきます。

入門介護講座。老人ホームの選び方 http://blog.goo.ne.jp/inkyo-ce1

2011年8月3日(水)

第1回東日本大震災を踏まえた今後の災害対策のあり方検討会

北区は、東日本大震災と昨年の石神井川などの水害被害をふまえて、地域防災計画の見直しに着手します。学識経験者や地域で活動する団体の代表、区職員からなる「災害対策のあり方検討会」が設置され、本日、北区防災センターで第1回目の会合が開かれました。会議は公開ということで、さっそく本田正則議員とともに傍聴に行ってきました。

冒頭に、花川区長があいさつ(その後、早退)。次に、委員の自己紹介があり、座長、副座長を選出しました。副座長でもある木村拓郎氏(一般社団法人減災・復興支援機構理事長)がスライドを使って東日本大震災の現地の様子などを説明、北区防災課長などからは区のこれまでの対応について説明がありました。

続いてフリーディスカッションに入り、すべての委員からひとことずつ発言がありました。自治会、社協、民生委員、学校の代表などからは、今回の水害や震災を経験して、普段からの備えが足りなかったことや、要援護者対策など地域連携をどう築きあげてゆくかなどの問題意識が出されました。

学識経験者からは、それぞれの立場で専門的な意見が出されました。地震学を研究している助教からは、津波に関して「東京湾では過去に2m以上の津波は来ていない。今回の東日本のような被害は、まず起こりえない」との発言。都市計画・まちづくり専攻の准教授からは「東京は今回、大地震の『予行演習』という貴重な体験を得た。この検証から、東日本大震災をふまえた防災計画づくりにすすむことが大切」との発言がありました。

原発・放射線問題への対応についても議論に注目していたのですが、全体を通じてはただ一人、男女共同参画推進ネットワークの代表から「食育にとりくむ方から放射線問題での不安の声が寄せられている。行政においては、保護者などから相談があった時に、親身な対応をしてほしい」という発言がありました。

検討会は今後、月1回のペースで年度末までおこなわれる予定です。私たちも、こうした議論にかみあうよう、区民のみなさんの声をしっかり行政に届けてゆきたいと思います。

2011年8月3日(水)

北区でもホットスポットか? 赤羽公園で最大0.35μSv/h そね前都議とともに区内放射線量測定

今日は午前中に、そねはじめ前都議、同僚の八百川、さがら、山崎の各区議とともに、区内放射線量の測定をおこないました。

北区ではこれまでに300ヵ所以上の小・中学校、保育園・幼稚園、公園・児童遊園などで空間放射線量の測定をおこなってきました。その結果、比較的線量の高いとされた地点について、私たちが独自に再調査を決めたものです。

本日は、浮間3丁目児童遊園、赤羽台さくら並木公園、赤羽公園の3ヵ所で、子どもが遊ぶ砂場、滑り台、ブランコなどの遊具付近、草むら、ベンチ、側溝などをていねいに測定しました。

北区の調査でも地上5cmで0.16μSv/hという値が出た赤羽公園では、東側の築山で0.13μSv/h(地上5cm)、藤棚下(地上5cm)で0.14μSv/hと、やはり高い値がでました。

そして、何と! ふと藤棚裏の地面に測定器を向けた時、針が一気に振れ始めました(写真)。その値は最大で0.35μSv/hに達し、平均でも0.27μSv/hという高線量値でした。

この値が計測されたのは、まさに半径30cm圏内のわずかな地点でしたが、思わず「ここがホットスポットか」と思ってしまいました。すぐに北区に連絡し、対策をとるよう求めましたが、さらに独自調査は続けてゆきたいと思います。

なお、今回の計測では、ALOKA製シンチレーションサーベイメーター、TCS-171を使用しました。

2011年8月2日(火)

第3期議会改革検討会がスタート

一昨年、昨年に続いての第3期議会改革検討会が本日、スタートしました。議会各会派の代表が、議会活動についてのさまざまな改革について話し合う場で、これまでに費用弁償の引き下げ(5000円→2000円、日本共産党は廃止を主張)、議長任期の2年制、議場・委員会室でのクールビズの導入、区ホームページから議員ホームページへのリンクなど、いくつかの成果をあげてきました。日本共産党北区議員団からは、八巻直人幹事長と私の2人が委員として出席しました。

今期は、前回までに結論のでなかった議員定数の適正化、費用弁償の見直し、議会基本条例の制定というテーマに加え、各会派から新たに提案された改革案について、来年3月まで議論を深めてゆくことになりました。

本日の議論の中で、これからの議員の処遇のあり方についてふれた提案、発言がありました。ある与党議員は「議員定数は減らすべきだが、その分、議員報酬は上げるべきだ」と発言。理由は議員の収入が減っている上に地方議員の年金制度が廃止され、このままでは次に続く新しい議員が出てこなくなる、などというものですが、きわめて利己的な言い分ではないでしょうか。こうした「お手盛り」の主張は、区民から厳しい批判を受けざるを得ません。

なお、現在、区庁舎が耐震工事中(写真)のため、8月いっぱい委員会室が使えません。本日の会議も北とぴあを使っておこなわれました。私たち日本共産党区議団も、王子にある旧地域振興室に退避中です。なにかと不便ですが、地震も多いこの頃、しっかり耐震補強工事をおこなってもらうことが一番だと思います。