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宇都宮章ミニレポート

宇都宮章レポート
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NO.122 2015年7月号
憲法踏みにじる歴史的暴挙
自民・公明の強行採決に抗議します。


6月定例区議会報告 区議会議員宇都宮章
 6月区議会では北・九条の会が提出した「戦争法案を廃案に」の陳情にたいして共産党は採決を主張するも自民が不採択を、公明は反対を表明できず継続審議を、民主は趣旨採択で結局、継続審議になりました。
 私は、今年度の区議会で健康福祉委員会副委員長に就任したことをご報告いたします。

議会様変わり
 今議会ではマスコミの注目が集まっている聴覚障害のある斉藤リエ議員の質疑が本会議で行われました。
 あらかじめパソコンに入力した質問文章が音声変換ソフトを使い議場に女性の声で流れました。
 これに対する区側の答弁は、やはり音声認識ソフトで、斉藤議員のタブレット画面に文章として現れる仕組みです。
 また、今議会への取材を申し入れたマスコミ各社に対し、与党会派が取材を一部制限し、本会議の撮影を認めないなどの対応を決定しました。
 日本共産党北区議団は「傷害を持つ議員の活動について多くの有権者が関心を持っており、その知る権利は保障すべきだ」と取材制限に反対しました。

区の積立金は過去最高477億円
 北区の基金残高(積立金)は更に積み増し、477億円と過去最高になりました。
 今年度は国保料、介護保険料の値上げに加え、中間所得層をねらい撃ちする18年ぶりの保育料の値上げ、ふれあい館などの使用料に8%の消費税をかぶせ、いっせいに値上げするなど、区民へは負担増がますます重くのしかかります。
 とくに介護保険の改悪で介護サービス利用の自己負担1割が、所得に応じて2割負担を導入(約2千人が対象)。また、施設利用のさいの食費・居住費の負担軽減の基準が「住民税非課税」に加え、あらたに資産(現金、預貯金、有価証券など)の合計額が夫婦で2千万以下となります。このため窓口で通帳を見せたり、タンス預金の自己申告が必要となります。
 消費税増税、大企業減税、内部保留のため込みの一方で、庶民のフトコロに、手を突っ込むようなやり方ではないでしょうか。
ひきつづき戦争法廃案のたたかい、いのちと暮らしを守るたたかいを、みなさんとともに進める決意です。
7・14戦争法案反対署名 国会提出決起集会に参加
2015.7.14共産党の宮本巌牛院議院にしっかりと署名を手渡す
2015.7.14共産党の
宮本巌衆院議院に
しっかりと署名を手渡す
 王子、東十条、神谷のみなさんから私たちに託された署名445筆(全体で37万筆)は、共産党の宮本徹衆院議員に、しっかりと手渡し請願を要請しました。
 若いお母さんが「死ぬ思いで生んだわが子に、人を殺し殺されたりする思いを、絶対にさせるわけにはいきません」と涙ながらに訴えました。
 この言葉は、安倍首相や自民・公明党の議員に、聞かせてやりたいとの思いを強くし、廃案目指して頑張る、決意をあたらにしました。 
(神谷3丁目 M)
【街の色】
42回目の慰霊祭
戦没者慰霊祭で挨拶をする宇都宮章区議
 7月4日土曜日午後11時より神谷2丁目の神谷公園内にある「大東亜戦争戦没者慰霊記念碑」前で慰霊祭が執り行われました。
神谷2丁目中町会会長さんが挨拶に立ち慰霊祭の経緯を紹介しました。「70年前の終戦の年。昭和20年3月から8月までに空襲を受けてなくなられた神谷地域の住民三百数十名の遺体がここ神谷公園に仮埋葬されました。昭和26年になり掘り起こして他のところへ改葬されましたが、今となってはどこへ埋葬されたかわかりません。昭和50年になり、終戦30周年をむかえ亡くなられた方々の霊を慰めるためにこの慰霊日が建てられ、その年から連綿と慰霊祭が続けられ今年で42回目になります」と説明されました。
続いて区議会議員宇都宮章さんが挨拶に立ち「毎年、慰霊祭を継続されている町会のみなさまに心からの敬意を表します。
今国会で憲法9条をこわす法案が審議中ですが。廃案に向けてさらに世論を盛り上げていくためがんばります」と挨拶の中で述べました。
慰霊祭は専福寺住職の読経の中、神谷2丁目中町会の方々をはじめ40人あまりが参列し焼香しました。
「戦争」か「平和」か 天下分け目の決戦に
 「関が原の闘い」の後に、徳川家康が、戦国乱世を治めて、世界と戦わない「統一国家」を創ってから、約二百六十年間続いた江戸時代。その「世界と戦わない国」を、世界と戦う国にかえた、「明治維新」、それからの日本は、昭和20年までの80年間、近隣諸国への侵略と戦争の歴史の連続でした。

憲法九状で平和な日本を

 1945年、多くの犠牲を払い、せっかく取り戻した世界と戦わない「平和国家日本」を再び70年前の「戦争国家」に戻してよいのでしょうか?
 ことさら近隣諸国の脅威をあげつらい、「戦争法案」成立を応援する勢力の裏で、現代の「武器商人」や「戦争成金」をもくろむやからの動きを想像するのは、私の僻目(ひがめ)でしょうか。「関が原」で、松男山に陣取って、どちらについたら生き残れるのか、逡巡していた小早川軍のように、未だに旗幟(きし)を鮮明にできない人々や政党に対し、潮目の変化を見せつけようではありませんか!
王子在住 W

絶好のブルーベリー狩り
ブルーベリー狩り
那須高原の青木ブルーベリー園、天候は曇り、気温もちょうど良く、作業するのに絶好の日和でした。ブルーベリーも良く熟し、粒も大きく甘くて美味しい。試食しながら黙々と摘み取り作業。高原の美味しい空気も存分に吸って満足しました。
王子3丁目 S
戦争とは母親が泣いて暮らすもの
 戦後70年、戦後生まれの私はもうすぐ70歳です。
8月近くになると全国で反戦平和の集会などが数多くもたれ「広島・長崎」を思い出させられますが、わたしの戦争の「きずあと」とは『母親が泣いて暮らすもの』との思いが強く焼き付いています。
下町一帯をおそった「東京大空襲」で深川の家は焼かれ、一足先に学校に避難していた二人の姉が死に(殺され)ました。
 父の弟をたより、仙台の山の手に疎開しました。ここなら安全と思う間もなく、7月10日にまた空襲にあい今度も着の身着のまま、相馬近くの丸森町の田舎に疎開。そこで8月23日に私は生まれました。
  母は死んだ娘のことを想い出しては泣き、死骸を確認していないので「帰ってくるのではないか」とあきらめ切れないでいました。
そんなとき、夢枕にたった姉が、お墓のほうで(こっちにいるから、もうさがさないで)と手をふっていたので、母もあきらめようと思ったようです。それでも同じ年頃の娘をみると「あの子にも買ってあげなきゃ」「嫁にやらなきゃ・孫がいても良いのに」と泣いてばかりいました。
  のちに就職した職場に姉と同姓同名の人がいると、母に話したら真剣な顔で「その人はウチの姉じゃないか聞いてきて」と言われ、まだあきらめ切れずにいた母にびっくりしました。
母親の体内で二度も戦火をくぐりぬけ、もし原爆だったら今の私は存在しません。生ある者として戦争は絶対に反対です。
戦争放棄の第九条は、大空襲、原爆で一瞬のうちに大勢の人が亡くなった悲惨な体験と反省にたって、二度と戦争はしない、させないために生まれました。
  いつでもどんな戦争でも自衛隊がアメリカとともに戦争する「戦争法案」に絶対反対です。私は9条の会に入りました。 
また、城北演劇を観る会の会員でもあります。年に一度は戦争もの、社会性のあるものを含め、年六回「北とぴあ」のさくらホールで演劇を鑑賞しています。
平和でなければ私たちの会は続けられません。
王子1丁目 I 
【ギャラリー】
うぐいすギャラリー
戦争法案反対神谷公園集会
日時:8月16日(日) 午後4時
場所:神谷公園(神谷二丁目神谷小学校裏.地図
集会終了後神谷をパレードします。

戦争法案、みんなの力で廃案に!

主催:(仮称)戦争法案反対神谷公園集会実行委員会
共催:宇都宮章事務所 03-3598-2683
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