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児童館のオータムフェスティバル
秋晴れの一日に1,000名以上参加 |
・例年行われてきた児童館まつりが、ことしから“オータムフェスティバル”としてスタートしました。
・桐ヶ丘児童館と赤羽西児童館を中心に、青少年地区委員会と桐ヶ丘・赤羽西の自治会が協力する体制ができ、規模が広がりました。
写真は9月18日(土)桐ヶ丘郷小学校校庭
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平成15(2003)年度の決算審議会がはじまりました。 |
日本共産党さがら区議が総括質疑
・9月22日~10月5日までの7日間・決算委員会が開かれています。北区の今後10年間に渡る
「基本計画」の施策や、新たに区政運営が企業のように“経営”するという方針が民営化を急速に広
げることなど、来年度予算編成にも大きな影響を与える決算特別委員会です。
・今号では、総括質疑の中からいくつか紹介させていただきます。
(1)核兵器廃絶を明確にした「宣言」を
◆来年はヒロシマ・ナガサキ、そして終戦から60周年です。区長は核廃絶の「宣言」には消極的で
すが、来年も平和事業に積極的にとりくむと表明しました。
(2)「協動」を安上がり行政の下請けのために「協動」にしてはならない。
◆北区として、地域振興課が担当して「協動の定義を明確にする検討を進めています」
(3)荒川区長・汚職事件北区に被害はでないか。
◆贈賄側で名前が出た「新光ビルシステム」は「北とぴあ、赤羽会館などの管理業務を行っている」
と答弁。
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りんごと鮎プラス温泉・秋の日帰り旅行 |
2004年10月22日(金)朝7時出発
参加費5,500円(大人) 45名の定員です。
日本共産党あかぎり講演会 (3905)0970へお申し込み下さい。
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都議会がはじまりました。 9/21 都庁前広場で集会が開かれ、
そねはじめ都議があいさつ |
暮らしを支える都政に
曽根はじめ党都議団・政調委員長のあいさつ |
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日本共産党はみなさんと固く連帯して、都議会最終日まで、都民の立場から徹底的にたたかいぬきます。
都民の最大の要望となっている高齢者対策や医療、福祉分野で5年半の石原都政は、全国でも突出して福祉予算を削り、百を超す都立施設が廃止・民営化されました。
石原都政が「人・物・金」をつぎ込んだ「都市再生」は、都財牧をだめにするだけでなく、東京のヒートアイランド現象などによる異常な暑さの原因の一つとなっています。
憲法、教育基本法改悪の先頭に立っている石原都政と都教委は、都立白鴎高校付属中学校で戦争を賛美する教科書を採択し、「日の丸」「君が代」押し付けをさらに厳しくしようとしています。
地方自治体が教育でなすべきことは、子どもたちのために教育条件を改善することです。42道府県が踏み出している少人数学級を都が実施しないのは何事か。この問題を厳しく追及していきます。
都議会は残念ながら「オール与党」です。都政は全都民のくらしを支えるものでなければなりません。日本共産党はこの立場で悪政と対決していきます。
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生活保護と憲法25条
「しんぶん赤旗」より~一部~ |
==どんな制度? なぜ必要?==
長期不況やリストラ、企業倒産によって国民生活が脅かされるなか、生活保護を受けている人は年々増え、2004年3月時点で139万1千人、97万世帯(グラフ参照)。
因っている人の助けとなる大事な国の制度なのに、値打ちを下げる改悪計画が矢継ぎ早に打ち出されています。
生活保護とはどういう制度なのでしょうか。
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「この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に茎き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」
生活保護法の第一条には制度の目的についてこう書いてあります。法律なので難しい文章になっていますが、国民みんなが利用できる制度だということ、生活が苦しくなって因った人がいたら国はすすんで面倒を見る責任があるということが書いてあります。貧乏は本人のせいだから行き倒れになる人がでてもしょうがないというのは、行政として間違っている、真っ先に政府の責任が問われるんだということを憲法を根拠に定めているのです。
憲法二五条とは、生存権と、それを守るための努力を国に求めた条項です。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いています。ここには、生活保苦法にある「最低限度の生活」とはなにかについてふれています。どんなに低くても、その生活が「健康で文化的」でなければならないのです。食べて寝ていればいいというものではなく、生きがいや豊かさが感じられる暮らしを、国民の権利として定めています。
これを脅かすのが病気や失業、商売の転廃業などです。収入の道が断たれるとたちまち最悪の生活危機に直面します。そうなったときのため、あるいはそうならないようにつくられた制度が生活保護なのです。国の責任としたのは、病気や失業、商売の失敗などは、国民だれにでも起こりうることだからです。
とくに資本主義の世の中は、巨額の富を築く一部の人と、賃金の低い勤労者たちとの生活格差がどんどん大きくなる欠点を持っています。そのうえ、かならず景気が悪くなる時期があります。日本でも、政府の失政も重なってバブル崩壊後に戦後最大規模の不況を招き、患者負担を1割負担から3割負担へ3倍に引き上げる医療改悪で病院にいけないような政治まで強行されています。また企業倒産のなかの自殺者激増が世界からも注目されるほどです。
生活保護制度がいまほど重要になっているときはありません。 ==「朝日訴訟」が大きな力に==
生活保護の基準、制度の運用と憲法で保障された生存権の関係などをめぐって、数多くの裁判が行われてきました。
1950年代後半から60年代に争われた「朝日訴訟」は、当時の生活保護基準が、憲法第二五条に明記された「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する水準となっているかなどをめぐって、初めて争われた訴訟です。
原告勝訴となった東京地裁の一審判決では、憲法第二五条の条文は、国が国民にたいし「『人間に値する生存』を保障しようという」規定であり、これは「国民が単に辛うじて生物として生存を維持できるという程度のものであるはずはなく、必ずや国民に『人間に値する生存』あるいは『人間としての生活』というものを可能ならしめる程度のものでなければならない」としました。
またその実現のために「最低限度の水準は予算の有無によって決定されるものではなく、むしろこれを指導支配すべきのである」と国の責任を強調しました。
この裁判は、その後の生活保護制度の運用改善、社会保障の運動に大きな影響を与えました。
最近では、子どもの高校進学に備えて加入した学資保険の満期金を収入と認定され、保護費を減らされた処分の不当性を争った「学資保険裁判」(今年3月、最高裁で原告勝訴)などがあります。
-- 朝日訴訟 --
結核患者として療養中の朝日茂氏は、生活保護によって受けていた日用品費額と給食付医療給付を、実兄からの扶養料の送金を理由に削られました。行政不服申し立てをしましたが却下されたため、その裁決の取り消しを求めて1957牢に厚生大臣を提訴しました。
60年10月の一審判決(東京地裁)では原告が勝訴しましたが、63年11月の控訴審(東京高裁)では原告が敗訴し、原告死亡後、67年5月の最高裁判決で原告敗訴となりました。
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