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長崎の平和像と北区の平和女神像の作者、故北村西望氏の故郷は、有明海をのぞむ南島原市にあり、生家が資料館になっています。
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核兵器のない世界へ 廃絶交渉の開始を |
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・前号でお知らせしたように、北区議会・憲法9条を守る会として、広島市の平和記念式典に参列し、献花してきました。
原爆ドームが見える元安端で |
・65年目の夏、「核のない世界へ」の世論が高まる中で、潘国連事務総長が式典で初めてあいさつ。核保有国のアメリカ、イギリスの臨時大使などが初参加するなど、大きな変化が生まれています。
このような国際世論をつくっている力は、写真のように、草の根からの署名活動です。
6日も、強い日差しの中で、高校生たちが、署名をよびかけたり、被爆者の方々のお話を聞いたり、熱心に活動している姿があちこちで見られました。 |
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第五福竜丸が被爆したビキニ環礁が世界文化遺産に登録されました。 |
・このことも、世界の世論の大きな変化だと思います。 |
マグロ漁船 第五福竜丸のふるさとは焼津港
・焼津港は静岡県中部の駿河湾の中にあり、私の生まれ育った、静波海岸(しずなみ)とは、車で20~30分ほどの距離。
・私は、遠浅の砂浜が広~いこの海岸で遊ぶのが大好きでした。春休みには友だちと、バケツいっぱいにハマグリをとったり、夏はスイカ割り。夕暮れは、だれもいないのをいいことに、大きな声で歌ったり、足文字を書いたり…。
・当時はまだ3歳だった私。この身近なところで起きた事件を認識したのは、上京後でした。 |
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世界文化遺産にビキニ環礁登録
2010.8.3付「しんぶん赤旗」1面より |
核時代終えんの一歩に
宇宙から見たビキニ環礁=NASAのホームページより
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ブラジルの首都ブラジリアで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第34回世界遺産委員会は7月31日、米国の原水爆実験が行われた太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁を、世界文化遺産に登録しました。同委員会のジュカ・フェレイラ議長(ブラジル文化相)は「この経験を繰り返してはならず、ビキニ環礁をわれわれの次の世代の記憶に残す、というわれわれの願いがメッセージだ」と語りました。
ユネスコが自然環境であるサンゴ礁を文化遺産に登録するのは異例です。遺産委員会は、「核実験の威力を伝える上で極めて重要な証拠」とし、「平和な地上の楽園というイメージとは裏腹に、人類が核の時代に入ったことを象徴している」とその決定理由を明らかにしています。核兵器被害を伝える世界遺産としては1996年に登録された「広島平和記念碑」(原爆ドーム)があります。
第五福竜丸が被爆した、ビキニ環礁での水爆ブラボーの爆発実験=1954年3月1日午前6時45分(現地時間)第五福竜丸平和協会提供 |
同委員会のスイス代表は「ビキニ環礁登録は核時代の終焉に向かう最初の一歩だ」と強調しました。
米国は46年から58年にかけて、当時国連信託統治領だった同諸島のビキニ環礁周辺で、最初の水爆実験を含む67回の核爆発実験を行いました。54年3月1日の水爆ブラボーの実験では公海上で操業していた遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被ばくしました。核実験は同環礁の地形と自然環境に多大な影響を与え、放射能の後遺症で多くの島民の苦難が続いています。 |