本多勝一
「今は1931年の少し前くらいかな、という気がしてしょうがない」 これは元共同通信編集主幹の県寿雄氏がもらした言葉である(『創』4月号の座談会)。
1931年とは、かの満州事変(中国でいう「九・一八事変」)が、日本軍のねつ造事件たる鉄道爆破によって開始された年に当たる。その少し前が「今」だという恐ろしさなり重大性なり、コトの意味が等身大のものとして一般・国民に理解されているとは、全く思われない。
小泉政権による今度のイラク派兵。日本の歴史にとってこれは1945年以来59年ぶりの大事件であろう。平和憲法は粉砕され、日本の武装兵力が遠い海外の、しかも戦争状態の中へ初めて「正式に」派遣されたのだ。ところがそんな歴史的大事件でも、60年安保や70年安保当時のような強い抗議行動が起きない。なぜなのか。
世論への影響強大
背景は、もちろん単純ではあるまい。しかし直接的に大きな原因となっているのは、情報産業としてのマスメディアの姿勢であろう。いわゆる世論とか国民の意織への影響力は、政府等の体制による広報など比較にならぬほど強い。そのようなマスメディアが、去年3月20日の米英軍イラク侵攻以来1年間、この侵略戦争をどう報じてきたか。
まずテレビ報道の中で最大の影響力を誇るNHKの場合、ニュ-ス番組を見た万はご存じのとおり、アメリカ人従軍記者と同じ視点で報ずるばかり。第二次大戦でアジア侵略中の日本の新聞やラジオと変わるところはない。まだしも民放の方が、久米宏等のニュース番組にみられるような本来のジャーナリズムがある。
新聞はどうか。地方紙はいざ知らず、主要全国紙として「朝日」「毎日」「読売」の3紙をみると、まず「読売」が開戦当日と翌日の社説でただちに「非はイラクにある」と断じ、国連や国際法無視の一方的侵攻を全面支援するなど、もう100%小泉政権広報紙の役割に終始、ジャーナリズムのかけらもない。
「朝日」は社説でみるかぎり、開戦直前までは基本的に立派だったと言えよう。ところが開戦直後の21日には微妙に変化しはじめる。「時計の針は元に戻らない。この現実に立つ時・…」として侵略戦争への全面批判よりも、攻撃方法として「軍事施設や本来の狙いである大量破壊兵器の関連施設に絞」れといった条件つきになるのだ。結局はその大量破壊兵器さえ見つからぬことになるけれど。「朝日」のこの及び腰はその後も続いて、要するに基本は現状追認へと変わっていった。
「毎日」も、開戦直後の社説で「第1の非はフセイン政権」としているように、アメリカ帝国の非をその次にしている。イラク報道は3紙の中ではましだったものの、結局は自衛隊派兵を支持するに到る。
そして3紙とも、第一次イラク戦争(いわゆる湾岸戦争)につづいてまた使われた劣化ウラン弾--この核兵器を使った米軍の巨悪に対する追及が、ほとんどないに等しい。
幼児の白血病激増等、永続する放射能害は、もはや地球生態系への想像を絶する破壊なのだが。
抗議行動報道せず
この1年間のマスメディアについて象徴的に言えるのは、核大国たるアメリカ帝国の一方的侵略に対して「侵略」という単語さえ使わないことだろう。日刊紙で侵略を明記してきたのは、政党機関紙とはいえ「赤旗」だけとは、あまりにも情けない。それに事実として、イラクを始めあの地域についての報道が最も詳しいのは、どの新聞よりも「赤旗」だった。さらに、さきに「強い抗議行動が起きない」と書いたが、実は派兵反対デモは東京でも万単位であったのだ。それは「赤旗」で知ったが、一般紙ではまるで報じられなかった。米軍イラク侵攻時も、ドイツなど何10万人の、特に若者の大々デモがあったのに、一般紙ではほとんど報じられず、私はドイツの友人からの手紙や「赤旗」で知った。「赤旗」のその写真は圧巻だった。ベトナム戦争当時は一般紙もそれをやっていたのだが……。
日本のマスメディアも、いよいよ「1931年の少し前」に呼応しはじめたようだ。
(ジャーナリスト)
「しんぶん赤旗 日刊紙」
2004.3.12付けより転載させて頂きました。
●日刊紙は、1ヶ月2900円です。
●日曜版は、1ヶ月800円です。
ぜひ、ご購読いただけます様おねがいいたします。
連絡先さがらとしこまで
|