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400メートルトラックや新たな屋内施設にも住民の安全守る・防災対策を要請 |
~赤羽西の住民のみなさんとともに~
・文部科学省は、自衛隊の跡地に400メートルのトラックを新たにつくります。その工事説明会の中でも、住民の方々から避難用出入口はもちろん、トイレ、水、自家発電などについても整備してほしいとの要望が出されました。
・さらに住民の方々は、現在のスポーツ科学センターを訪ね、災害発生時、広域避難場所としての対応はどうなっているのかの説明を求めてきました。しかし文科省は「防災は北区がやるべき」との姿勢でした。これでよいのでしょうか。
・4月18日、赤羽西の住民の方といっしょに、北区としての考え方や現状の説明を聞くとともに、今回のスポーツ科学センターの整備計画に防災対策をきちんと位置づけるよう、北区としてひきつづき、強く国に求めて欲しいと要請しました。
赤羽自衛隊跡地の(コンクリートのかべ)擁壁(ようへき)が撤去されました。
文科省の400メートルのトラック部分
「さがらレポートNo.668」3/30付でお知らせしたように、撤去工事が行われました。 写真は4/19(水)の午後3時半ごろ。
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お知らせ と お礼 |
◆4月25日(火)ピース・ウォーキング
・写真を手に地域の歴史を再発見!
・参加を希望する方は、お弁当と飲み物を持参。
◆4月26日は、学校跡地検討委員会が開かれます。
◆4月29日は、北区母親連絡会が講演会
写真家の石川文洋氏 北とぴあ
◆さがら事務所のガレージバザーのご協力、ありがとうございました
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陸軍被服廠(りくぐんひふくしょう)の廠(しょう)とは・・・
~写真で語る「戦後60年」より・北区発行~ |
・先輩方のお話を聞いていると必ず出てくることばですが、戦後世代にとってはむつかしくて、聞き慣れない「廠(しょう)」です。
・しかし赤羽の地域を歩いて歴史を再発見するためには、避けて通れないのが「廠」です。
【広辞苑】によると、「廠(しょう)」とは、屋根だけでかべのない建物。転じて仕事場。「工廠、被服廠」と例示しています。
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帰島から1年2ヶ月の三宅島を訪ねて
06年4月 |
グリンピースとさがら区議
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4月15日夜~17日、東京災害対策連絡会のメンバーとして、帰島から1年を経過した三宅島を訪ね、現状を調査してきました。
避難解除の直後、昨年2月2日にも三宅島に行きましたが、この1年で島を一周する道路はすっかり整備され、砂防ダムが40基も完成したとのこと。かなり島のふんい気が変わっていました。 |
野菜作りの大ベテラン 大年(おおとし)さんの畑には…
グリンピース、玉ねぎ、さやエンドウ、キャベツ、レタス、白菜などなど
写真のように大年武直さん(81才)とナツ子さん(76才)が夜明けから日暮れてなお、カンテラをつけて耕してきたという畑には、おいしそうな野菜が実っていました。
急斜面の上にも作られた畑にのぼってみると、海も見えました。 |
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庭にはハウスで苗づくり
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ナス、キュウリ、サトイモ、トマト、カボチャなどの苗がいっぱいのハウス。大年さんは、ひとつひとつ、丹精こめてきた苦労と喜びを話してくれました。
「桐ヶ丘には宮澤さんっているだろ。長いつきあいだよ。このさやエンドウを届けてほしいなあ。」と大年さん。さっそくお届けしましたよ。 |
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三宅島==桐ヶ丘・北区
緑と風の交流会 |
・5月の連休を利用して、帰島から1年あまりの三宅島を訪問し、交流会を開くことになりました。
・5年という長い避難期間の中では、同じ地域(まち)で生活するお隣どうしのおつきあいがたくさん生まれました。久しぶりの再会です。
5月3日(水)夜10時半に竹芝桟橋を出航して、三宅島に2拍の予定です。 <参加費>2拍+船代などで26000円
お問い合せはさがら事務所へ
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