|
|
|
医療費も教育基本法も…
緊迫する国会情勢を報告
小池晃(参院議員・党政策委員長) |
・自民党と公明党の小泉政権は、格差と貧困を広げ、一方米軍の移転には2兆円も3兆円も出すことを約束するなど日本の政治は深刻なゆきづまりに直面しています。
|
医療制度改悪は許せない |
5/3(水)には、赤羽駅西口で憲法9条を守る署名といっしょに、呼びかけました。
前号で、署名を同封しましたが、郵便で送り返していただいたり、事務所に届けていただいたり、ご協力ありがとうございます。 署名はすぐに、国会に届けます!
連休明けの5月8日(月)には、署名を持って国会にゆき、小池参院議員に届けました。
|
そね議員と病院を訪問
のの山さんと駅前宣伝 |
5月10日には大橋病院や赤羽台団地診療所、竹内病院、桐ヶ丘団地診療所などを訪問し、院長先生とお話ししました。
・この中で「窓口での2割3割の負担はひどすぎる」「75才以上の方は介護と医療で合わせて月額1万円もの年金の天引きなどで許せないですね」と言う話になりました。
|
島民と北区・桐ヶ丘地域住民が1年ぶりの再会。
村長さんも駆けつけ、合わせて70人余の大交流 |
|
三宅島役場・体育館前での記念撮影(5/4)=
さがら撮す= |
連休中の好天にも恵まれて、5/3(水)の夜11時ごろに竹芝桟橋から三宅島に向かいました。
島に着いたのは午前5時半。夜明けの頃でした。少し仮眠をとって、午前9時~正午までは島めぐり。寺本恒夫村議の案内で、島の噴火の歴史やNLPのたたいかいのことなども、学びました。(移動には村のマイクロバスを借りあげて)田村安太郎さんの畑も訪問。
“みどりと風の交流会”
初めての“交流会”には、北区から26名参加。小学6年生から、最高齢者は87才。10代から80代がそろいました。 4日島めぐりのあと、昼食交流会。 なんと、桐ヶ丘や浮間に避難しておられた方が40人以上もあたたかく迎えてくれました。平野裕康村長からも歓迎のあいさつを頂いたり。
|
「さがらとしこレポート」読者の皆様へ |
今号は、三宅島訪問の特集となってしまいましたが、いかがでしたか。4年半もの長い時間を、同じ地域(まち)で生活した者同士として、三宅島がどのように復興してゆくのか、人ごととは思えないのです。
今回の交流会で、桐ヶ丘・三宅島ボランティア会の有馬正美事務局長は「避難中から、みなさんを一度島にお迎えし、お礼をするのが夢だった」と語られました。
交流会の実現にあたっては、有馬さんと、浅沼惇同会長のご尽力によるところが大でした。本当にありがとうございます。
次の「レポート」から連載で“三宅島の今(いま)”をお伝えしたいと思いますのでどうぞよろしく。
|
シルバーパス(70才以上の方)の手続きはお済みですか。 |
シルバーパスを紛失してしまった時…再発行の手続きはできます。
|
三宅島交流会
「久しぶり、元気?」 |
5/5付 「しんぶん赤旗」日刊紙 1面より
「久しぶり、元気だったか?」 昨年5月、東京・三宅島に戻った阿古地区の山名ゆきさんは((84)は、4日、同島で開かれた東京・北区の住民との交流会に参加しました。会場で川端昭子(56)の顔を見かけると、すぐに駆け寄り、涙ぐみました。川端さんは、北区の桐ヶ丘診療所の看護師。心臓の持病をかかえる山名さんが北区で生活した5年間に通った診療所です。 (藤川良太)
会場となった旧阿古小学校体育館の入り口には「ようこそ三宅島へ 桐ヶ丘の皆さんと島民交流会へ」の看板が掲げられました。島民が左右に列をつくる真ん中を、拍手の中、北区からきた住民が会場に入りました。
山名さんは、川端さんに「懐かしい。5年も面倒見てもらって」咳に並んで座って、川端さんの顔を見つめます。
山名さんは、帰島後の昨年12月、「引越の疲れで」持病の狭心症を起こしヘリコプターで東京の病院へ運ばれました。ヘリコプターの中では「もう島には戻れない」と思ったと言います。
「看護師さんに会えてうれしかった」川端さんの顔を見つめたまま、しわくちゃな笑顔を見せました。
東京にいたときの山名さんは、三宅島の家がどうなっているか、分からない状況の下での帰島の決断でした。「島の診療所にいくこともままならないかもしれない」と考えた山名さんは、桐ヶ丘診療所で相談。「それで心臓の薬などをまとめてだしてもらったんです」
ほかにも同様のことをしてもらった島民もいたといいます。
桐ヶ丘診療所に通っていた人たちがどうなったか心配で、今回の交流会に参加したという川端さん。山名さんの昨年の緊急入院の話に、「がんばったね」とやさしく声をかけました。
川端さんは「在宅酸素療法をしていた人にはまだ会えていないので確認できていないけど、今のところみんな元気そうで安心しました。三宅に戻ったみなさんは、生き生きして輝いていました」と話しました。
|