戦後62年の夏に/「 はだしのゲン 」初のドラマ化/原作者中沢啓治さん語る
2007.08.08 「しんぶん赤旗」より
母の骨までも食い尽くした原爆/いま、平和憲法を変えちゃいけない 1945年、8月6日。62年前のあの日、原爆が落とされた広島でたくましく生き抜く少年・ゲンを描いた漫画『 はだしのゲン 』が、この夏、ドラマになります。放送は10日から2夜連続(フジ系)。原作者・中沢啓治さん(68)に、作品への思いを聞きました。
(塚越あゆみ) 映画、アニメ、舞台、絵本…。さまざまな形となって、世に送り出されてきた『 はだしのゲン 』。ドラマ化は中沢さんの一番の念願でした。
「『 はだしのゲン 』はホームドラマなんです。平凡で幸せな家庭が奪われる戦争と原爆の悲惨さを、親子で語り合ってもらえたら最高ですね」 ゲンのモデルは中沢さん自身。「ぼく自身、被爆後の広島をカラ元気を出して闊歩(かっぽ)していました。原爆で焼け野原となった大地を、素足でしっかり踏みしめて生きていけ、人間の元素になれ、それがゲンという名前の由来です。ゲンは元気の元、元素の元なんです」
弾圧された父親
ゲン役は、オーディションで50人の中から選ばれた小林廉。「体つきもゲンによく似ていて、自分の昔を思い出します」 父親役は中井貴一。「以前から自分の作品に出演してほしいと思い続けていたので、聞いたときは、えーっとびっくりしましたね。キャストは以心伝心です」 原爆で焼け死んだ父親は、まき絵師で日本画家。劇団にも入り、「この戦争は負ける、すばらしい世の中が必ず来る」と言い切り、反戦活動をして弾圧されました。
原作が描いた膨大なエピソードに、ドラマとしてまとまるか心配だったという中沢さん。
「脚本を読んで、戦争に反対し『非国民だ』とののしられたおやじの姿や、言論まで封殺する戦争の恐ろしさが、きちんと描かれていて安心しました」 『 はだしのゲン 』執筆のきっかけは、「若いころハイカラさんだった」という母の死でした。漫画家をめざし、22歳で上京。被爆が理由で差別に遭った経験から、原爆のことは話さないと心に決めていました。
1966年、母が病死。火葬され出てきた母に、がくぜんとします。「どっちが足でどっちが頭かわからない。白い灰が点々としてる。これが骨か? ばかな、と。原爆ってやつは、おふくろをさんざん苦しめたあげく、骨まで食い尽くすのかと、ものすごい腹が立ってね」 東京に戻る途中、列車の中で、「原爆が嫌いだって、もう逃げちゃだめだ、見たままを再現して徹底的にたたかってやろう」と決心。そうして生まれたのが『 はだしのゲン 』でした。「子どもたちに読んでもらえるよう、悲惨なシーンは不本意ながらかなりセーブして描いた」と言います。
「戦争や原爆がこんなに悲惨なものとは知らなかった」「落ち込んだとき必ずゲンを読む。私にとってはバイブルです」「もっと真実を描いて」 全国の子どもや若者から寄せられた感想に、「作家みょうりに尽きますね」と繰り返します。『 はだしのゲン 』は、各国語に翻訳され、今や全世界で読まれ、たくさんの賞を受賞しています。「世界にぼくの意志が伝わっていく。うれしいなぁと思いますよ」
歴史から学ぼう
安倍晋三首相が主導する改憲の動き、「原爆投下はしょうがない」と、核兵器を容認する久間発言。今、日本が向かっている方向に危機を感じています。「全方位平和外交、これを徹底すべきです。武力でどうこうしようなんて、絶対にだめ。とにかく戦争や原爆の歴史を学んでほしい。あの原爆は、戦争にかこつけて実験に利用されたんです。日本人がもがき苦しんで手にした平和憲法は、変えさせちゃいけないんです」 「今は腹いっぱい白い米が食えて、自由にものが言える。今の平和の意味を次の世代がしっかり認識して、もう二度と戦争は繰り返さないという子が育ってくれるのを願っています。小学校3年の孫がいましてね、名前は『元』ていうんです」
小学校のころの感動を番組に/増本淳プロデューサーの話
小学校のころ、この漫画を読んで感動したことが、ずっと頭の中に残っていました。戦争という歴史の過ちが風化しつつある今、家族みんなで戦争について考えるきっかけを提供する番組ができないかと、今回のドラマを企画しました。
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