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2007年8月10日 通算743号

さがらとしこ事務所 
東京都北区赤羽北 3-23-17
TEL&FAX 03(3905)0970

日本共産党区議団
北区王子本町1-15-22 区役所内
TEL 03(3908)7144

「戦争の時代は、こりごり。憲法9条を守らなきゃ」
・5日の日曜日におこなった「参院選挙の報告と暑気払いの会」には、70人をこす参加者と、テーブルの上に色とりどりの差し入れの品々が並び、話もはずみました。

・「共産党にとっては厳しい結果でしたが」という発言に、80歳をこすA子さんから、「憲法9条は絶対に守らなきゃ」と激励。思わず背すじがシャンとなります。

・N氏からは、住民税の大増税の自公政治にきびしい批判の声。「政治を変えなきゃ」と、ドンと背中を押していただきました。


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62年目の夏-6日は宮本顕治元議長のご葬儀がありました。

1960年代から70年代へ。宮本さんの「日本革命の展望」が戦後日本の新しい政治の方向を示し、”多数者革命”や”議会制民主主義”とはと、学友たちと語りあった青春でした。

・参議院での与野党逆転。国民の選択によえる新しい政治のあり方について、大いに語りあいながら、柔軟で大きな日本共産党をつくってゆきたいと思います。

8月7日付「しんぶん赤旗」より
潮流
 宮本顕治さんの葬儀のあいだ、斎場の庭からセミの鳴き声がひっきりなしに聞こえてきました。六十二年前の八月六日の広島も、朝からセミがにぎやかだったでしょう▼その日、宮本さんの弟の達治さんは、広島で原爆にあいました。戦争が終わり、まだ網走刑務所に入れられていた宮本さんは、お母さんからの手紙で知ります。行方知れずの達治さんは、死体もみつかっていません▼宮本さんは、「こんなざんこくなことはありません」と嘆く母に、返事を書きます。「こんどの大戦の一般人民の莫大な犠牲は、こんな犠牲をふたたび反復しない生活と世界の建設に向かって人びとの心をゆりおこさずにはおかないでしょう」と▼宮本さんの予見は、現実となります。秋葉忠利広島市長は、きのうの平和宣言で、被爆者の苦難を振り返りつつ語りました。「しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です」▼平和宣言は、「『こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ』と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来永劫忘れてはなりません」と続きます▼核廃絶を妨げる勢力は、簡単には悪魔の兵器を手放さないでしょう。しかし、二人の小学六年生、森展哉さんと山崎菜緒さんが記念式典でのべた「平和への誓い」も、人々の心に頼もしく響きました。「私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです」
政治革新を語る納涼のつどい=宝田明さんがお話しします
  • 日時:8月10日(金)午後6時30分開会
    会場:岸町ふれあい館
  • 会費: 2000円
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漫画「はだしのゲン」がテレビドラマに
私も、子どもたちと涙を流しながら「はだしのゲン」を読みました。くり返し、くり返して読んで、本はボロボロになってしまいました。
8月10日(金)と11日(土)の放映を期待しています。もう二度と、戦争の時代をくり返させないという決意をこめて…。
戦後62年の夏に/「 はだしのゲン 」初のドラマ化/原作者中沢啓治さん語る  
2007.08.08 「しんぶん赤旗」より

母の骨までも食い尽くした原爆/いま、平和憲法を変えちゃいけない 1945年、8月6日。62年前のあの日、原爆が落とされた広島でたくましく生き抜く少年・ゲンを描いた漫画『 はだしのゲン 』が、この夏、ドラマになります。放送は10日から2夜連続(フジ系)。原作者・中沢啓治さん(68)に、作品への思いを聞きました。

 (塚越あゆみ) 映画、アニメ、舞台、絵本…。さまざまな形となって、世に送り出されてきた『 はだしのゲン 』。ドラマ化は中沢さんの一番の念願でした。

 「『 はだしのゲン 』はホームドラマなんです。平凡で幸せな家庭が奪われる戦争と原爆の悲惨さを、親子で語り合ってもらえたら最高ですね」 ゲンのモデルは中沢さん自身。「ぼく自身、被爆後の広島をカラ元気を出して闊歩(かっぽ)していました。原爆で焼け野原となった大地を、素足でしっかり踏みしめて生きていけ、人間の元素になれ、それがゲンという名前の由来です。ゲンは元気の元、元素の元なんです」

弾圧された父親
 ゲン役は、オーディションで50人の中から選ばれた小林廉。「体つきもゲンによく似ていて、自分の昔を思い出します」 父親役は中井貴一。「以前から自分の作品に出演してほしいと思い続けていたので、聞いたときは、えーっとびっくりしましたね。キャストは以心伝心です」 原爆で焼け死んだ父親は、まき絵師で日本画家。劇団にも入り、「この戦争は負ける、すばらしい世の中が必ず来る」と言い切り、反戦活動をして弾圧されました。
 原作が描いた膨大なエピソードに、ドラマとしてまとまるか心配だったという中沢さん。
「脚本を読んで、戦争に反対し『非国民だ』とののしられたおやじの姿や、言論まで封殺する戦争の恐ろしさが、きちんと描かれていて安心しました」 『 はだしのゲン 』執筆のきっかけは、「若いころハイカラさんだった」という母の死でした。漫画家をめざし、22歳で上京。被爆が理由で差別に遭った経験から、原爆のことは話さないと心に決めていました。

 1966年、母が病死。火葬され出てきた母に、がくぜんとします。「どっちが足でどっちが頭かわからない。白い灰が点々としてる。これが骨か? ばかな、と。原爆ってやつは、おふくろをさんざん苦しめたあげく、骨まで食い尽くすのかと、ものすごい腹が立ってね」 東京に戻る途中、列車の中で、「原爆が嫌いだって、もう逃げちゃだめだ、見たままを再現して徹底的にたたかってやろう」と決心。そうして生まれたのが『 はだしのゲン 』でした。「子どもたちに読んでもらえるよう、悲惨なシーンは不本意ながらかなりセーブして描いた」と言います。

 「戦争や原爆がこんなに悲惨なものとは知らなかった」「落ち込んだとき必ずゲンを読む。私にとってはバイブルです」「もっと真実を描いて」 全国の子どもや若者から寄せられた感想に、「作家みょうりに尽きますね」と繰り返します。『 はだしのゲン 』は、各国語に翻訳され、今や全世界で読まれ、たくさんの賞を受賞しています。「世界にぼくの意志が伝わっていく。うれしいなぁと思いますよ」

歴史から学ぼう
 安倍晋三首相が主導する改憲の動き、「原爆投下はしょうがない」と、核兵器を容認する久間発言。今、日本が向かっている方向に危機を感じています。「全方位平和外交、これを徹底すべきです。武力でどうこうしようなんて、絶対にだめ。とにかく戦争や原爆の歴史を学んでほしい。あの原爆は、戦争にかこつけて実験に利用されたんです。日本人がもがき苦しんで手にした平和憲法は、変えさせちゃいけないんです」 「今は腹いっぱい白い米が食えて、自由にものが言える。今の平和の意味を次の世代がしっかり認識して、もう二度と戦争は繰り返さないという子が育ってくれるのを願っています。小学校3年の孫がいましてね、名前は『元』ていうんです」

小学校のころの感動を番組に/増本淳プロデューサーの話
 小学校のころ、この漫画を読んで感動したことが、ずっと頭の中に残っていました。戦争という歴史の過ちが風化しつつある今、家族みんなで戦争について考えるきっかけを提供する番組ができないかと、今回のドラマを企画しました。

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2007平和のための北区の戦争展 
8月18日(土)と19日(日)10:00~19:00 北とぴあ・地下展示ホール

・ことしで13回目、区民の手づくり“戦争展”です。無料で入場できます。ぜひ、お出かけ下さい。

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