広島市長の平和宣言
2007.08.07付 「しんぶん赤旗」より
6日に行われた広島市の平和記念式典で、秋葉忠利市長が「平和宣言」を行い、子ども代表の市立五日市観音西小学校6年の森展哉くん、同東浄小学校6年の山崎菜緒さんが「平和への誓い」を読み上げました。その大要は次の通りです。 広島市長の平和宣言 運命の夏、8時15分。朝なぎを破るB29の爆音。青空に開く「落下傘」。そしてせん光、ごう音。静寂。阿鼻叫喚(あびきょうかん)。
落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ、顔はただれ、助けを求める人々の皮膚は爪(つめ)から垂れ下がり、髪は天をつき、衣服は原形をとどめぬほどでした。
爆風によりつぶれた家の下敷きになり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し、息絶えた人。かろうじて生きながらえた人々も死者をうらやむほどの「地獄」でした。
14万人もの方々が年内に亡くなり、死をまぬがれた人々もその後、白血病、甲状腺がんなどさまざまな疾病におそわれ、いまなお苦しんでいます。
それだけではありません。ケロイドをうとまれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
しかし、そのなかから生まれたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、3度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来永劫(えいごう)忘れてはなりません。
こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速するなど、人類はいまなお滅亡の危機にひんしています。時代に遅れた少数の指導者たちが、いまだに、力の支配をほうずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓をくんで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そしていまや市民とともに歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の英知をもとに、市民の声で国際政治を動かそうとしています。
世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実をもとに、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。
わがヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼びかけ、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集めるなど、世界中の市長たちが市民とともに先導的なとりくみを展開しています。ことし10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織「都市・自治体連合」総会で、私たちは人類の意思として核兵器廃絶を呼びかけます。
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守(じゅんしゅ)し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」というべきです。
また「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長のみたまに心から哀悼の誠をささげ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。
平和への誓い
私たちは、62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れません。あの日、街は真っ赤な火の海となり、何もかもが焼かれてなくなりました。川は死者で埋まり、生き残った人たちは涙もでないほど、心と体をきずつけられました。
あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。これが原子爆弾です。これが戦争です。これが本当にあったことなのです。
しかし、原子爆弾によっても失われなかったものがあります。
それは生きる希望です。
祖父母たちは、廃虚の中、心と体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらい時でも、生きる希望を持ち続けました。焼け野原になった街をつくり直してきました。そして、今、広島は、自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました。
平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。
途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、一人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。
私たちは、ヒロシマを「遠い昔の話」にはしません。「戦争をやめよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。
そして、世界中の人々の心を「平和の灯火(ともしび)」でつなぐことを誓います。
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