「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」とした「論文」を応募し、更迭され「定年退職」となった田母神俊雄前航空幕僚長。同じ懸賞論文に幹部自衛官など94人もが応募していたことも明らかになり、組織ぐるみの事件に発展しています。〓言論によるクーデター〓ともいえる事態の根本になにがあるのか-。
歴史認識・憲法解釈/政府見解くつがえす
田母神問題の核心は、歴史認識や憲法解釈についての政府見解を、軍事組織のトップが真っ向からくつがえそうとしたことです。
田母神氏は「論文」で、旧日本軍の中国侵略について「我が国は蒋介石により…引きずり込まれた被害者」などと全面否定。植民地支配についても「圧政から解放され、また生活水準も格段に向上した」などと美化しています。
これらは、「植民地支配と侵略」についての反省を表明した1995年の「村山富市首相談話」に反するだけでなく、歴史の事実を真っ向から否定するものです。集団的自衛権の行使や攻撃的兵器の保有が禁止されているとする政府の憲法解釈にも真っ向から異議を唱えていることも、憲法尊重擁護義務への挑戦です。 田母神氏は問題発覚後も「村山談話」について「検証してしかるべきだ」と見直しを要求し、集団的自衛権の行使も認めるべきだとのべています。
世界有数の戦力をもった軍事組織のトップが、侵略戦争を肯定し、海外での武力行使を可能にすることをめざして政府見解を覆そうとする-現役将校らによるクーデターがあいついだ戦前の歴史を想起させる事件です。
懲戒手続きなし/自衛隊の体質を示す
もう一つの問題は、防衛省・自衛隊の体質です。
防衛省は、田母神氏に対して、懲戒手続きもとらず、定年退職として約6千万円の退職金の自主返納だけを求めるという及び腰の姿勢です。
「政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは、航空幕僚長としてふさわしくない不適切なもの」(浜田靖一防衛相)というなら、懲戒処分が当然です。
本紙が情報開示請求で入手した陸上自衛隊幹部学校の「教育課目表」によれば、過去の日本の侵略戦争を、当時の呼び名を使って「大東亜戦争史」として教えています。
2004年には、陸上自衛隊幕僚幹部防衛部防衛課所属の二等陸佐が、自民党の中谷元・元防衛庁長官から改憲草案づくりの依頼を受けて起草。憲法九条を改悪して改憲案に国防軍の設置や国民の国防義務を盛り込むことを求めていました。
今、防衛省が真に取り組むべきことは、過去の侵略戦争美化を容認する風潮をきっぱりと断ち切り、憲法尊重擁護義務をしっかり果たすことです。
任命は安倍内閣/歴代自公政権の責任
田母神氏が航空幕僚長に任命されたのは2007年3月、安倍晋三内閣当時のことです。
田母神氏が侵略戦争を正当化する考えの持ち主であったことは、それ以前から自衛隊内では知られた事実でした。航空自衛隊の隊内誌『鵬友』でも、統合幕僚学校長時代の03年7月号から04年9月号まで4回にわたって「航空自衛隊を元気にする10の提言」を寄稿し、今回の論文と同様の主張を繰り返しています。 それにもかかわらず、航空幕僚長に任命した自公政権の任命責任は免れません。
今年4月に、イラクでの自衛隊の活動を違憲と断罪した名古屋高裁判決に対して、田母神氏は「そんなの関係ねえ」と暴言をはきました。しかし、石破茂防衛相(当時)は「(イラク派兵について)何ら変更がないといいたかったのだろう。部下を思い、国を思う気持ちだ」と擁護しました。
田母神氏は、侵略戦争肯定発言を繰り返す理由に、「親日的な言論は比較的制約されてきた…その状況が最近変わってきたのではないか」と判断したことをあげています。
主要閣僚を「靖国」派でしめた安倍内閣の登場(06年)と、そのもとで航空幕僚長に任命されたことは、今回の「論文」と無関係ではありません。それだけに、安倍政権以来の歴代政権の政治責任は重大です。
制服組の政治関与/自公政権が推進
自公政権は自衛隊制服組の政治関与を推進してきました。新ガイドライン(日米軍事協力の指針)が締結された1997年には、制服組が国会や他省庁と直接交渉することを禁じた「保安庁訓令九号」を廃止。自民、民主などの若手国会議員と制服組の「勉強会」も指摘されるようになりました。
2007年には、防衛庁を防衛省に格上げ。インド洋、イラクと海外派兵を積み重ねるなかで、制服組の発言力も強まりました。
今年5月には、防衛省「改革」のなかで、石破茂防衛相が「『軍人を政治から隔離しておいたほうが文民統制に資する』との考え方では今日の政軍関係は成り立たない」として、国家安全保障会議に軍人メンバーが加わるよう求めるなど、文民統制の「改革」を求めました。
田母神氏は、2004年当時、石破防衛庁長官の訓示を示し、「自衛官も政治に対し…意見を言うべきなのだ」「政治家と積極的に接触するよう努めるべきではないのだろうか」(『鵬友』04年3月号)とのべていました。 |