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2010年11月5日 通算941号

さがらとしこ事務所 
東京都北区赤羽北 3-23-17
TEL&FAX 03(3905)0970

日本共産党区議団
北区王子本町1-15-22 区役所内
TEL 03(3908)7144


11月21日(日)桐中での<わ>になって語るつどいへどうぞ。

とってもめずらしい花です。どなたか名前を教えていただけませんか。実物は、さがら事務所の入口にありますので、見て下さい。
桐ヶ丘団地診療所開設50周年“健康まつり”に800人つどう
・なんとか台風が通過し、10月31日の日曜日は桐ヶ丘郷小を会場に健康まつり。
米寿のお祝い、ことしは6名の方。
そして、参加者の最高齢者は97歳の周藤キミさん。94歳、93歳91歳の方が何人もおられて、私のインタビューに笑顔でお話ししてくださいました。
日本舞踊やコーラス、花の絵を描くなど、それぞれすばらしい趣味を今も楽しんでおられます。30年後、私もこんなふうにできるのかしら…。

・盆踊りや福引き抽選会を終え、「区長との まちかどトーク」会場へ。地域振興室の会場は満席でした。
・テーマは これからの高齢者対策
ならば“健康まつり”に参加して、ここで話しあったらよかったなあ…と思ったりしましたが。「民生委員が1人で400人を担当」しているとの話しに、参加者からおどろきの声。
「だから、地域包括支援センターと自治会、地域が協力しあって、つながることが大切なんです」との民生委員さんの訴えには、切実さがあふれていて、みんな大きくうなずきました。

・さて、11月11日は「介護の日」です。
平成20年(2008年)に設定され、北区としても14日にイベントが開かれます。(10/20付「北区ニュース」)
高齢化がすすむ中、必要な介護や医療が受けられるよう、渡したちの“まちづくり”の課題は大きいし、やりがいもありますね。
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医療基本法の制定へシンポ
「しんぶん赤旗」2010.10.3付より
“患者の権利 国に守らせよう”
 医療と憲法の間を結ぶ医療基本法はなぜ必要なのかを考えあおうと30日、東京都内でシンポジウム「医療基本法の制定を!」が開かれました。主催は医療基本法制定推進フォーラム。
 「基本法」とは国政の重要な分野について国の制度、政策に関する基本方針などを示した法律で、改廃分を含め40あります。
 基調講演をした日野秀逸東北大学名誉教授は、「医療は国民生活や国政のうえできわめて重要な業務・課題であり、患者の権利を基底にすえ、その権利を政府に体系的に守らせるのが基本法の趣旨だ」と指摘。全国的な「医療崩壊」もあり、「医療提供側、患者側の双方から基本法の議論や制定への環境、条件が熟してきた。憲法の基本的人権、平和的生存権から出発するのが重要だ」と基本法制定の意義をのべました。
 つづいて6人が報告。NPO「がんと共に生きる会」の海辺陽子副理事長は、「患者の声を医療政策に反映させるために早期の基本法制定を待ち望んでいる」とのべました。
 尾身茂自治医科大学教授は、「日本では生命の尊重と個人の尊厳という医療と介護のあるべき姿に関するグランドデザインを描くことがほとんどやられていない。本質的な医療サービスのあり方についての議論が重要だ」と指摘しました。
 民主党、公明党の国会議員のあいさつにつづき、日本共産党の小池晃政策委員長が「患者の権利を守るために、憲法25条にもとづく基本法の制定に力を尽くしていきたい」と表明しました。

ベッドの上から、生存権を問いつづけた朝日茂るさん。命をかけてのたたかいを、今に生かしたいですね。
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尖閣問題につづいて、今度は千島。日本共産党は、この二つの領土問題で、明確な主張をしていますので、ご紹介します。
「しんぶん赤旗」2010.11.2付 日刊より
日ロ領土問題 歴史的経過を見ると―

 日本共産党は、1日の志位和夫委員長の談話でのべているように、1969年に千島政策を発表して以来、日本の領土として全千島列島と歯舞(はぼまい)諸島、色丹(しこたん)島の返還を求めてきました。党綱領でも「日本の歴史的領土である千島列島と歯舞諸島・色丹島の返還をめざす」と明記しています。これは、歴史的経過からみても当然の主張です。

全千島が日本領土

 千島列島は、北端の占守(しゅむしゅ)から南端の国後(くなしり)までの諸島をさします。幕末から明治にかけての日ロ間の平和的な外交交渉では、全千島が日本の領土と確定されました。

 それは、両国の国境を決めた二つの条約をみれば分かります。(地図参照)

 日ロ間の最初の条約は、 「日魯通好条約」(1855年) で、日ロ間の国境は択捉(えとろふ)島と得撫(うるっぷ)島との間におき、択捉以南は日本領、得撫以北はロシア領とし、樺太(からふと)を両国民の“雑居地”にするという内容でした。

 その後、 「樺太・千島交換条約」(1875年) で、日本は樺太への権利を放棄し、その代わりに、得撫以北の北千島を日本に譲渡し、千島全体が日本に属することで合意しました。

 その後、日露戦争で日本は樺太南部を奪いましたが、全千島が日本の領土であることは、第2次世界大戦の時期まで国際的に問題になったことはありません。

ヤルタ密約の誤り

 ところが、ソ連のスターリンは、米英首脳とのヤルタ会談(1945年2月)で、対日参戦の条件としてソ連への千島列島の「引き渡し」を要求し、米英もそれを認め、密約を結んだのです。これは、「領土不拡大」(1943年のカイロ宣言など)という戦後処理の大原則を踏みにじるものでした。

 ヤルタ密約の誤りは、サンフランシスコ講和条約(1951年)第2条C項にひきつがれ、「千島放棄条項」になりました。

「サンフランシスコ条約第二条C項 日本国は、千島列島…に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」

 その後、日本政府はこの千島放棄条項を前提にして、“南千島(国後、択捉)は千島ではないから返せ”という国際的に通用しない解釈で返還要求を続けてきました。この主張があとからのこじつけであることは、サンフランシスコ会議における日米両政府代表の言明やその後の国会答弁で明らかです。

吉田茂・日本政府代表の発言(51年9月7日)…「日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアもなんらの異議を挿(は)さまなかった」「日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時…」

 つまり、日本代表の吉田氏自身が、日本が放棄する千島列島には、択捉、国後が含まれるという演説をしているのです。

ダレス米国代表の発言(51年9月5日)…「第二条(C)に記載された千島列島という地理的名称が歯舞諸島を含むかどうかについて若干の質問がありました。歯舞を含まないというのが合衆国の見解であります」

 これは、講和会議のさい、日本政府が「歯舞、色丹は千島ではない」と主張したためですが、それ以外は千島列島だという見解を示したものです。「南千島は千島にあらず」という日本政府の立場では、択捉・国後でさえ、道理をもって要求できる論立てにはならないのです。

 さらに、サンフランシスコ条約の批准国会ではどうか。

外務省・西村熊雄条約局長の答弁…「条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております」「この千島列島の中には、歯舞、色丹はこれは全然含まれない。併し(しかし)国後、択捉という一連のそれから以北の島は、得撫(ウルップ)・アイランド、クリル・アイランドとして全体を見ていくべきものではないか」(51年10~11月)

 西村局長の答弁は、南千島、北千島と分ける道理はない、択捉、国後以北の島は全体として千島列島を構成するというもの。「南千島は千島にあらず」という論立てが成り立たないことを、政府自身認めていたのです。

 ソ連の不当な領土併合という根本問題を避けて、サンフランシスコ条約の前提に縛られている限り、領土問題の解決ができないのはこうした経過からみても明らかです。

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