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2010年3月19日 通算901号

さがらとしこ事務所 
東京都北区赤羽北 3-23-17
TEL&FAX 03(3905)0970

日本共産党区議団
北区王子本町1-15-22 区役所内
TEL 03(3908)7144

桐中新校舎見学に1,500人 「もう一度、こんな校舎で学びたい」
■13日の土曜日午後1時ごろには、校門前がいっぱいとなり、予定より早目に見学会開始。
「さがらレポート」を手にした方、「私は、第一期北中卒業生です」と、誇らしげに声をかけてくださった方…次々と校舎の中へ。
お互いに、ちょっと気持ちが高ぶっています。小学生も「早く中学生になりたい」。

■「中学生には戻れないけれど、ここで勉強したい」「ランチルームと音楽室がいっしょに使えるのねえ。ピアノを聞きながらの昼食って、うらやましいわ」私たちも、使わせてもらえないかしら」

◆いろんな感想を聞かせていただき、地域開放にむけても提案してゆきたいと思います。
ふれあい給食(会食会ですね) 区民講座または区民大学会場に 武道場の鏡のまえで、フラダンス…。
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沖縄の闘い 過去・現在・未来
〔講演会〕いま憲法9条を語る 北区議会・憲法9条を守る会結成5周年記念
講師:大田昌秀さん

と き:3月26日(金)18:30開園  ところ:赤羽会館1階・講堂

 詳しくは、こちらをご覧下さい>>
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お知らせ
■日本共産党演説会 
4月21日(水)午後6時半~
赤羽会館

市田忠義 書記局長、小池あきら参議院議員、田村智子参議院比例代表予定候補 
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いま たたかう沖縄に連帯=平和=米軍基地撤去
<この面は、八百川孝区議会議員の報告より転載させていただきました。>
私たちは米軍王子野戦病院や自衛隊基地の開放を次々と進めてきました

軍都北区
北区は農村が軍都となり「栄えたまち」。
終戦時、区内面積の約10%をしめる軍用地が残っていました。軍事施設は、標的とされ、何度も「空襲」を受けました。

終戦・占領軍により接収
終戦とともに、こうした旧軍用地は、アメリカ占領軍により接収され、アメリカ軍基地のまちにと変貌し、朝鮮戦争時には、極東米軍地図局が、また、ベトナム戦争時には、現在の中央公園のところに王子野戦病院がつくられました。そうした軍事施設を開放してのまちづくりが北区の歴史でもあります。王子野戦病院跡は、障害者センターや中央公園にと生まれ変わりました。
今度のスポーツの森公園で 赤羽地区は文字通りの全面開放  となります。
この全面開放は、当初の「一部解放論(下を参照)」の規模を大きく上回るものとなりました。
○1958年(昭和33年)に突然自衛隊が米軍接収跡地(十条地区:旧TOD第四地区)と、赤羽地区(旧TOD第二地区)にはいってくる。
北区と区議会は反対決議。
○1980年代「北区から基地をなくす会」結成。
○1987年(昭和62年)8月、防衛庁は「自衛隊再配置計画」を発表 十条駐屯地を「補給統制関連本部基地」として建設し、恒常化を図る。
  北区議会は「一部解放」と「全面解放」をめぐり対立。 共産党、全面解放を求め続ける。 全面解放運動が盛り上がるなか赤羽地区の一部が開放される
(自然観察公園)。続いて十条地区の一部解放、中央公園(旧稲荷公園含む)に。ここには中央図書館を建設。
○文化省が赤羽地区跡地にナショナル・トレセンを建設 続いて北区が土地を入手しスポーツの森公園を建設(サッカー場、広場ほか)。
2010年4月24日開園式
北区立赤羽スポーツの森公園 誕生!!







 

 

 




「北区から基地をなくす会」のデモ行進 (1992年)

06年の基地内軍事訓練の模様

3月16日まで、北区の予算委員会でした。この中で、さがら区議は「赤羽スポーツの森公園」の完成によって、赤羽地区にあった軍用地はすべて、平和利用、区民に開放されたことを、区の答弁として確認しました。


右の写真は中央図書館オープンの際、残された赤煉瓦建物を背景に曽根はじめ前都議と9名の議員団
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