日本共産党北区議員 山崎たい子

 
2010年4月16日〜18日
  北区議会・憲法9条を守る会 沖縄視察レポート日誌
4月18日(日)
第3日目

第1日目
第2日目

3日目は日本で唯一の地上戦が戦われ、民間人を含め多くの犠牲者を出した、沖縄戦の戦跡を訪れました。

沖縄では昔、自殺という言葉はなかったそうです。
自ら命をたつことは一番の罪とされ、先祖のお墓にも入れてもらえなかった。けれども沖縄戦では、家族や親戚同志で殺しあう「集団自決」という無残な事態がひきおこされました。

生きて捕虜の辱めを受けるなーと、手榴弾を手渡され、日本軍から降参することを許されず、家族を愛するがゆえに、家族を手にかけていった。
一番の犠牲者は子どもたちではなかったでしょうか。

沖縄では住民が壕ーガマに避難していました。そこに日本兵も隠れるようになりました。
声をだすと敵にみつかるー。 赤ん坊や子どもの泣き声は「静かにさせろ」と怒鳴られます。
お乳をあげながら、いつのまにか赤ん坊は息絶えていました。
兵隊に三角巾で首をしめられた子どももー。

訪れた「チビチリガマ」の碑にも、命をおとされた方のお名前と年齢が記されていました。
4 歳、 6 歳、 9 歳、 11 歳、 13 歳、 16 歳、 18 歳、、、。
亡くなった大半が子どもたちでした。
作家の司馬遼太郎さんは「軍隊は国民を守るものではなく、国を守るもの」と述べておられます。軍隊や戦争の本質を表しているのではないでしょうか。(写真はクリックで拡大します)
平和記念公園を訪れました。 
国立沖縄戦没者墓苑
沖縄戦での戦没者 18 万余名の遺骨が納められています。心をこめて、献花をさせていただきました。
平和の礎
国籍や軍人、非軍人の区別なく、沖縄戦で戦没した 24 万名余の名前を刻んだ碑。
1995 年沖縄県(県知事・大田昌秀)によって建立されました。
この平和の礎は、慰霊の塔というだけではなく、「非戦の誓いの塔」として、広く世界の時代を担う人々に、恒久的平和を求めるものとして建立されました。
平和の灯
沖縄の地から、世界中に平和が広がる様にとの願いがこめられています。
平和資料館
外観は 40 あまりの集落と城(グスク)を象徴しています。
沖縄戦の実相と体験を風化させることなく、次世代へ継承してゆける内容となっています。
平和記念公園には 400 あまりの慰霊の塔が建立されています。
命を絶たれた兵隊も住民も、二度と戦争の道を歩むなーと願い続けていることでしょう。
沖縄の海には、鹿児島の知覧から、特攻隊として飛び立った戦闘機が、 1900 機も沈んだままです。20 歳前後の青年達ー。どんなにか、生きたかったことでしょう。

女学生達も、兵隊の世話をするために、従軍看護婦として動員命令が下され、昼夜をわかたず献身的に活動しました。
解散命令が下された後は、戦場に放り出される事となり、砲弾に倒れたり、自決すものがでるなど、その多くが悲劇的な最期をとげました。
国民が生きることを、国がゆるさなかった。たくさんの人々の命・無念とひきかえに渡された平和のバトンを引き継いでゆくことが、あの過酷で辛い時代を生きた人達への、はなむけとなるのではないでしょうか。
車中でガイドさんがお話してくださいました。涙があとからあとから頬をつたいました。
北区議会憲法 9 条を守る会の、 3 日間の沖縄視察を終え、あらためて平和の尊さを痛感しました。
日本の憲法 9 条は、非戦の立場をつらぬき、平和を築いてゆく確かな道しるべです。
この憲法 9 条を守り、生かして行くことに、これからも力をつくす決意をあらたにしました。

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