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私は田端の文士芸術家村にふさわしいまちづくりについて、第(1)に田端文士芸術家村にふさわしいまちづくりの進め方について、第(2)に田端は区画整理でまちづくりを進める都市計画決定がされていますが、現在の事業区域の中で進行上、解決すべき諸点について、第(3)に区画整理未実施区域については、問題多い区画整理事業はやめるべきであるということについて、第(4)に、文士村らしさをそぎ落とし、様々な問題をもたらす補助92号線の見直しについて質問します。
「田端は坂のまち」です。京浜東北線に沿って、飛鳥山から上野に続く馬の背の高台の一角です。かつてはこの馬の背の高台の南向きの斜面を下ると、谷田川が流れる両岸に、畑が広がっていました。その田端に、明治末から芸術家が多数住み着きました。上野美術学校に通う芸術家たちにとって家賃が安かったからだそうです。その芸術家村に、大正期に入って芥川龍之介が来ると文士たちも大挙住み着きました。日本のモンマルトルとも呼ばれました。昭和に入り、芥川の死、室生犀星の転居で文士たちは減りましたが、芸術家村の方は続いていきます。1935年(昭和10年)前後に、谷田川が暗渠になり、馬の背を断ち切るように、田端の切り通しができ、1945年4月13日の空襲でほぼ全焼しました。1948年(昭和23年)からの戦災復興区画整理で西側は変貌しました。それでも、1989年(平成1年)、地域雑誌「谷中根津千駄木」21号にあるように「與楽寺坂、幽霊坂、ポプラ坂、上の坂などの崖のみどりに、昔の田端をしのぶ」ことはできたのです。だからこそ、その坂とみどり、未だ残る当時の道や路地こそが貴重なのです。北区は1995年(平成7年)策定の田端・上中里駅周辺地区まちづくりブロック構想でも、現在の都市計画マスタープラン2010でも、豊富に存在する歴史的・文化的資源の保全・再現・活用を明記してきました。
しかし、残念ながら、中層や高層の建物を認めている道幅10mを超える道路沿道や、容積率400%500%の商業地域に、バブルのたびに高度利用の波が襲いかかり、5〜6年前からの小泉・石原都市再生バブルでも、7〜8階建て、14階建ての建築ラッシュになったことは昨年の質問でも取り上げました。
もう一つの問題が、2006年から工事が始まった、一部の区画整理事業の進捗です。坂の脇にあった、豊かな屋敷林や急斜面の草地がなくなり、垂直なコンクリート擁壁で段々に造成され、まるで新興団地の様相です。板谷波山の窯跡が、擁壁造成でどうなるか。路地も消えました。かろうじて、ポプラ坂は、傾斜や形が変わるけれども残ります。田端文士芸術家村記念館の、田端の文学散歩、JRの「駅からハイキング」なども、名残もなにもない味気ないものになりかねません。
先日、補助92号線が通過する西日暮里三丁目のまちづくり計画を勉強に行きました。そこでは、補助92号線を作るのをやめて、昔からあった、高台の諏訪台通りと、谷田川北岸の六阿弥陀通りを修復型で6mに拡幅整備する計画を作りました。谷中銀座商店街も含めて、道潅山通り沿道をのぞく全域で15mの高さ制限をつけることにしています。地区計画の同意までは至らなかったけれど、現道拡幅、高さ制限で参加された住民が一致したのです。その根底には、寺町であることを誇りにしていることだということでした。私はこの誇りが、デベロッパーによる開発を押し返す力になっていると思います。
(1)田端文士村にふさわしいまちづくりの進め方について |
そこで大きな第(1)の質問は田端文士村にふさわしいまちづくりの進め方についてです。
北区の都市計画では、「みどり豊かなまちなみを保全し、落ち着きとうるおいのある市街地」をめざして、「低層または中層建物を中心」としてきました。ところが、中層建物を認める地域では、7階建て8階建てが増え保全にもなりません。景観づくりにつながる低層規制でデベロッパーの進出を押さえる必要があります。同時に、住民がみどりや、坂や、木造家屋や、建物デザインなどを含むまちのたたずまいに誇りを持ち、価値を見いだし、維持をしながら活力を生み出そうとする共通の認識を作り上げること、それを支援する行政の姿勢も問われます。
@田端文士芸術家村は歴史的、文化的資源という共通認識を作る過程をすえること
そこでまちづくりの進め方の@点目に、田端文士芸術家村は歴史的、文化的資源という共通認識を作る過程を、きちんとすえることが必要だと思います。
そのためには
1)つに文士芸術家村であったころ、どこにどのようなみち、川、家があり、それがどのように変わってきたか。特に、戦後の区画整理でどう変わったかを、今一度調査し明確にすべきです。
2)つに、こうした調査を、まちづくり部や、文士芸術家村記念館が協力して、住民と一緒に、年ごとに、町歩きしながら実施すべきです。
3)つに、今回の区画整理の前とあとのまちの姿を、写真や図面、絵、模型などで残す努力をしている方がいます。こうした資料の収集にも改めて取り組んでいただきたい。住民が、文士芸術家村に誇りを持てるようにするための取り組みについてまず、ご答弁ください。
A住民とともに、田端のまちづくりの基本を議論すべき
まちづくりの進め方のA点目に、住民とともに、田端のまちづくりの基本を議論すべきです。今回の区画整理事業で15mの高さ制限だけでは、イメージの変貌は抑えられないことが証明されました。低層住宅への限定や、用途容積規制やデザイン規制も地域によっては必要です。谷中銀座の活力は大きな建物から生まれているのではありません。区画整理完了区域も、事業区域も、未実施区域も、それぞれに、みちづくり計画や商店街などの産業活性化計画、そして観光計画が必要です。メンバーを固定せず、住民が誰でも参加できる形で話し合い、まちづくりの方向性を定めるべきです。そうしたまちづくり協議の開始について答弁を求めます。
B町の人がボランティアガイドなどで積極的に対応する方向へ
まちづくりの進め方のB点目に、町歩きの方々が増えるにつれ、マナーに対する批判や不満も出ています。町の人がボランティアガイドなどで積極的に対応することによって、節度ある町歩きにつながると思います。この点も含め、田端文士芸術家村にふさわしいまちづくりについて三点答弁を求めます。
【答弁 花川区長】
田端の文士芸術家村にふさわしいまちづくりについて、順次お答えいたします。
まず,文士芸術家村に誇りを持てるような取り組みについてです。
田端は明治末期から昭和の初期に駆けて、多くの文士・芸術家が住んでおりました。
その文士/芸術家関する調査、研究、その当時の資料の収集や保存を行うため、平成5年に田端文士村記念館を開館し、寄託分か振興財団が管理運営を行っています。
東京都では,区画整理事業を進めていく際には,様々な記録や写真を残しておりますが、今後とも文化振興財団と連携を図りながら、文士芸術家村の面影を残し,伝える取り組みを工夫してまいります。
【答弁 三浦まちづくり部長】
次に,住民参加のまちづくりについてです。
区画整理の事業区域では、田端らしさを残しながら良好な住環境と、健全で活力ある商業地の維持・形成を図るため、地域の皆様との話し合いを重ねながら、地区計画を決定いたしました。
今後とも、まちづくりの様々な場面で、区民の皆様に広く参加を求めて参ります。
なお、町歩きにつきましては、現在、区で観光ボランティアガイドの養成や登録を進めております。
こうした取り組みにより、さらに魅力的な町歩きを実現してまいります。 |
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(2)現在実施中の区画整理事業で起きている諸問題に、区としても解決に向けての取り組みを強化するよう求める |
大きな(2)つ目の質問は、現在実施中の区画整理事業で起きている諸問題に、区としても解決に向けての取り組みを強化するよう求めるものです。
1948年に都市計画決定された区画整理区域は、田端のほぼ全域を含みます。2006年から工事が始まった現在の事業区域は、そのほんの一部7.54fです。1986年末の測量開始で建築規制がかかり、翌年春の説明会、住民の反対多数の中で1998年に事業計画を決定、2005年の換地設計案発表でようやく全貌が見え始めました。以後、六つに分けた工区毎に事業が進捗し、権利者の皆さんには、様々な難問が押し寄せています。権利者の負担を軽減するため、北区には、東京都に働きかけるなど、以下の支援を求めるものです。 @最初は土地の権利についてです。 所有権者・借地権者の方々に対し、登記上の権利、旧組合移転工事後に仮使用している権利、そして今度の事業で仮換地後の権利の詳細を、公図・測量図や、換地設計図、そして路線価図、面積などを明示した資料を示して詳細な説明を、移転期限のせめて1年くらい前までに改めて行うよう求めていただきたい。 A移転補償についてです。建物は、今建っている建物の価値を補償します。86年に建築規制がかかったため、ほとんどが築30年以上で、同じ家を新築する費用の6割か7割程度の補償です。しかし、7月一杯が解体完了期限なのに、5月末に初めて金額提示と説明を受けた方がおられました。事実の違いを指摘したところ、持ち帰って検討することになりました。返事は6月11日まだ来ておりません。あと20日で、引っ越し先探しをし、さらに都が示した造成計画案をみながら建築プランや資金繰りの検討をし、その上での補償契約交渉をしなければなりません。せめて半年前くらいまで、最初の金額提示を早めるよう求めていただきたい。
【答弁 三浦まちづくり部長】
次に.現在実施中の区画整理事業で起きている諸問題に対する北区の取り組みについてお答えいたします。
田端二丁目付近地区の区画整理は、東京都が施行者となり、関係する区民の皆さまのご理解、ご協力を得て、事業を推進しております。
まず.土地の権利や移転補償・建物補償に関する説明は、権利者にとって、建築プランや資金面を検討する際の重要な要因と考えております。
土地の権利の分かりやすい説明や金額の提示時期などの要望につきましては、再度東京都に伝えてまいります。 |
B宅地造成に関して三つ質問します。
こちらは9月末の移転期限に対し、補償金額も提示されない中で、造成計画について6月末までに決めるように期限を切られた方がいます。しかし、地盤の耐力が弱いと、基礎工事や地盤改良工事を余儀なくされて、100万円200万円の水準で建築資金が苦しくなります。現在の地盤と同等の強度の造成をするか、基礎工事費用が余分に掛かる分を補償に上積みするなど手立てを講じるよう求めていただきたい。
二つに、資金繰りが苦しい中で、補償金額によって、造成計画や建築計画も変わるので、金額提示と造成計画決定期限をせめて2ヶ月以上はあけるよう求めていただきたい。
三つに、都市型水害、防炎、防犯などへの備えです。外大跡地の開発が進む中で下瀬坂を集中豪雨が流れ下る浸水被害がありました。火事の時擁壁で巻き返す炎への備え、擁壁の死角を悪用した犯罪への対策など、しっかりとふまえた造成計画の点検を緊急に行い、対応を求めてください。
【答弁 三浦まちづくり部長】
次に、宅地造成についてです。
東京都が品質管理を行い、適切な宅地造成を進めていると認識しておりますが、地区内の皆さまが不安を感じることのないように、丁寧な対応を求めてまいります。
なお,個々の事情に基づく民民の権利関係につきましては、当事者どうしの話し合いによって解決することが基本になると考えています。 |
C借地関係の学習機会の提供を求めます。
借地権者の皆さんから、公共事業に協力するにもかかわらず、地代値上げや承諾料・更新料の支払いが発生する事例も出て、不満が出ています。建物は自分の都合で建て替えるのではありません。土地は、基本的に従前も換地も等価です。地主さんにも借地人さんにもそうした財産権に関わる学習機会を保障してください。都がやっても区がやってもいいはずです。 D借家の皆さんの権利擁護の問題です。 事業計画決定後は、借家の皆さんには、移転補償説明会の時まで一切連絡はありません。移転するのかしないのかも、移転補償説明会まではわかりません。大家族や、高齢者の引っ越し先探し、そして営業可能な事務所探しは相当に困難です。 都営住宅の入居資格があり希望する方には斡旋するとしていますが、遠くに斡旋されても転居できないかたがおられます。各年度の、希望者数、斡旋数、入居数を確認したうえで、北区から東京都に対して、有資格の希望者は転居できるよう強く働きかけてください。また、中堅所得層には、公社住宅の斡旋を、さらに、民間賃貸住宅の斡旋制度も田端で創設しましたが、各年度別の斡旋と契約成立の実績を確認するとともに、充実についても強化を求めてください。
【答弁 三浦まちづくり部長】
次に、借家の皆さまの移転についてです。
東京都では、入居資格があって希望する方には、都営住宅を斡旋するように努力していると聞いております。
区といたしましても、民間賃貸住宅の斡旋制度などの周知を図り、今後とも、適切な対応に努めてまいります。 |
E東京都が、先行買収し、東京都に宅地として仮換地している宅地の問題
E東京都が、先行買収して、都市施設に放出せず、東京都に宅地として仮換地している宅地の問題です。たぶん3筆ありますが、そのうち、一番大きな宅地については、地元連合自治会から防災広場のような形での活用を求める陳情がされています。本来減歩緩和のために買収した土地です。権利者に還元するべきものです。なぜ、権利者に還元しないのか区として確認し、ご答弁ください。その上で、都市施設に放出しないのなら、防災広場の形で地元に還元するよう、東京都に求めてください。
以上6点につき、それぞれ、ご答弁ください。これから全工区の工事が完了したら、仮換地先の測量をして、換地として確定し、登記をして精算する換地処分の手続きが残っています。その過程が終わるまでまだ数年かかります。最後まで区民の権利をしっかり擁護していただきたい。要望しておきます。
【答弁 三浦まちづくり部長】
次に.東京都に仮換地されている土地についてです。東京都は、ご指摘の換地は、平成十七年に地元発表した換地設計に含まれ、所定の手続きを踏まえ適切に決定されたものであり、東京都の事業目的に活用していくとしております。
なお.防災広場の整備につき濠しては、地元自治会からの要望を踏まえ、すでに区から東京都に申し入れております。 |
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(3) 区画整理未実施区域のまちづくり手法について |
大きな(3)点目です。都市計画マスタープランは、区画整理の「事業区域以外で計画が残っている区域ではまちづくり手法を検討します。」としています。未実施が6割、完了と事業中が4割です。しかし、今述べたように区画整理は権利者に負担をかけるという面からも、最初に述べたようにまちの姿が一変し、田端文士芸術家村にふさわしいまちづくりにつながらないという面からも問題がありすぎます。区画整理の都市計画は廃止の手続きに入るという北区としての意志決定をし、東京都に働きかけるべきです。そして、低層建物中心とし、みちづくりは修復型にし、みどりを保全するまちづくりが問われます。地域によっては10mの高さ制限を盛り込んだ、地区計画とセットで密集事業を実施するなどの、未実施区域のまちづくりの方向性について、答弁を求めます。
【答弁 三浦まちづくり部長】
次に、区画整理の未実施区域についてのまちづくり手法についてお答えします。
区画整理事業の事業区域以外のいわゆる「残存区域」につきましては、具体的な事業化の予定はないと、東京都から聞いております。 |
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大きな(4)点目は補助92号線の計画見直しを求めるものです。
補助92号線は、始点が本郷通りの滝野川会館前、上野駅手前でJRをまたぎ下谷1丁目で補助184号線につながる補助幹線です。馬の背の尾根を東向きに進む途中で、田端に入る手前、山手線の手前から、南側斜面を下り、道潅山通りを過ぎてから、また斜面をあがって、有名な夕焼けだんだんや、西日暮里、谷中の寺町を突っ切っていく道です。もともと、作るのが困難な路線ですが、道潅山通りから終点までの2520m、全長の半分以上が見直し候補区間に入り、西日暮里三丁目まちづくり計画は、廃止を要望すると明記しています。
北区内は1830mありますが、完了部分が870m。差し引き960mのうち、950mが優先整備区間です。区画整理の説明会で、道潅山通りまでできなければ橋を架けないと説明していましたから、山手線の跨線橋10mを残し整備を進める方針と受け止められます。道潅山通りにいたるまでの荒川区、西日暮里4丁目部分の約300mも、優先整備区間から外れています。現在、事業化されているのは400mに過ぎません。これが、現在区画整理事業の中で建設途上です。
この400mができると、次は八幡坂から滝一小までの約120m、更にその次には田端駅通りの東側をどうするか、が問われます。その先の、見直し候補区間の建設は、もう一度いいますがますます難しくなっています。
そこで質問です。@つに住民の合意なしに事業化は進めない。Aつに田端駅通りより東側は廃止をめざす。Bつに駅通り西側の120mが事業化された場合にも、通過交通を吸い込まないよう、現在事業中の部分では、まちづくり公社が音頭をとって住民が提案した、車道を6mとし、歩道や自転車専用道を両側に7mずつ整備し、みどりのプロムナードとする。同時に、事業化の際は、東京都に換地した宅地を代替地として活用する。山手線の跨線橋は最後に判断するなどを、北区の見直しの方針として、東京都に要望するよう区長の答弁を求めて、私の質問を終わります。
【答弁 三浦まちづくり部長】
次に、補助九十二号線の見直しについてのご質問にお答えします。
東京都と特別区は、平成十六年三月に都市計画道路を計画的・効率的に整備するため、「区部における都市計画道路の整備方針」を策定いたしました。
この方針において、区内で、補助九十二号線をはじめとする十路線を、平成二十七年度までに優先的に整備すべき路線しとして選定し、順次、道路の整備を進めてきております。
補助九十二号線につきましては、北区内計画延長の約五割弱が完成していると東京都から聞いております。
区といたしましては、道路ネットワークを形成する上で重要な路線と認識しており、早期完成に向け凍京都に働きかけてまいります。 |
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以上の、質問、答弁を受け、再質問を行いました。原稿無しでのやりとりのため、会議録発行後、詳細をお届けします。
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