大学時代
自治会を再建 日本共産党に入党
1982年春に、北区の西ヶ原にあった東京外国語大学へ入学するために上京しました。「ヴィスコンティやフェリーニなど大好きなイタリア映画を字幕なしで観たい」という理由で、イタリア語を専攻しました。
大学でも柔道部に入り、週4日の練習に汗を流しました。対抗戦や試合にも多く出場し、東京都国公立大学個人戦2段の部で、第3位に入賞したこともあります。
1年生の秋に、当時崩壊状況にあった外語大の学生自治会を建て直そうという自主的な学生の運動に参加、「学生の要求を実現するためにはどうしても自治会が必要だ」「自治会があれば大学当局とも対等に交渉ができる」と仲間から熱く説得され、次第にのめりこんでゆきました。授業前のクラスに飛び込み、学生の前で「自治会をつくろう」とアジテーションを繰り返す毎日。思い返せば、演説はこの頃から鍛えられていたように思います。ねばり強い運動で、1年後にはついに自治会を再建、私は初代書記長に選出されました。
こうした学生運動を通じて、日本民主青年同盟(民青同盟)と出合い82年12月に加盟、同じ月に日本共産党にも入党しました。「国民の苦難あるところ日本共産党あり」という立党の精神が、「学生の願いを実現したい」と無我夢中でがんばっていた気持ちとピッタリ重なって、入党を決意させる決め手となりました。
その後は、大学内で民青同盟の班長、日本共産党の支部長などをつとめ、たくさんの仲間たちといっしょに活動する、充実した大学生活を送りました。