青年運動
東京の責任者として民青同盟の先頭に
大学卒業まぎわ、党の北地区委員長をしていた岩崎さんから「日本共産党で働いてほしい」と要請がありました。当時はバブル全盛期で就職口は引く手あまた、企業をまわった学友たちが「生まれてこのかた、自分がこんなに評価された時はない」と就職活動を楽しんでいるような時期でした。企業で働く気がなかった私は、即座に党専従になることを決意し、在学中の1987年秋から「赤旗」北出張所に勤務しはじめました。
3ヵ月ほどして今度は、民青同盟の専従に、との要請。民青同盟は、日本共産党の指導と援助をうけながら、青年の要求実現と社会変革のために活動する全国的青年組織です。88年、民青の北地区委員長に就任した私は、地域や職場の仲間とともに、青年への家賃補助を求める請願署名運動や自衛隊十条基地解放運動などをはじめ、青年運動に全力をあげました。90年から3年連続で、反戦平和を求めるロックコンサートにもとりくみました。
95年からは、民青東京都委員会で活動することに。この年、阪神・淡路大震災、薬害エイズ、フランスの核実験、沖縄の米兵による少女暴行事件と、社会を揺るがす大きな事件があいつぎ、多くの青年がボランティアや抗議行動にたちあがりました。私は都委員長という大任につき、無我夢中で運動の先頭に立ちました。96年9月には、足立区の青年たちといっしょに区長選をたたかい、吉田万三さん当選の一報に抱き合って喜びました。
97年12月に都委員長を退任、民青同盟を卒業しましたが、民青での活動はまさに私の青春時代そのものでした。