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NO.124 2015年9月号
9月5日赤羽駅日本共産党演説会
参院千東京選挙区予定候補
山添拓氏があいさつ
9月5日土曜日午後5時から赤羽駅東口で「戦争法案反対・安倍政治を許さない」と題した街頭演説会
9月5日土曜日午後5時から赤羽駅東口で「戦争法案反対・安倍政治を許さない」と題した街頭演説会が行なわれました。

駅前に集まった聴衆と通勤客やバス待ちの人たちが聞き入る中、そねはじめ都議会議員のあいさつで始まり、次に来年7月に行なわれる参議院選挙東京選挙区山添拓予定候補があいさつしました。

山添拓氏北区デビュー

「戦争の経験はなにが広島、長崎の被爆者の話を聞き沖縄の悲惨な歴史を学びました。
そして、現在でもアメリカは世界中の各地で違法な戦争を行なっているのが現実です。このアメリカと一緒になって海外で戦争をする国には絶対にしてはならない」と力強く決意を述べました。

池内さおり衆議院議員は「現職自衛官幹部から極秘に内部文書が日本共産党に2通も届けられれ、小池あきら・仁比聡平参議院議員が安保法制特別委員会で安倍内閣を追及し、委員会が何回も中断して、まともな審議ができていません。これで法案採決なんてとんでもありません。

憲法学者の9割が違憲だと言って反対に立ち上がっています。国会の外では。連日若者や子どもを持つお母さんらが国会を取り巻き抗議の声を上げています。国民の力で安倍内閣を追い詰めて戦争法案を絶対廃案にしよう」と訴えいると大きな声援が起こりました。

マイナンバー制定条例
区議会議員 宇都宮 章
9月4日から10月2日まで北区議会が開催されています。
今議会には2014年度一般会計泳ぎ特別会計の決算認定と、補正予算を含む14の議案が上程されました。

特に新設条例では赤ちゃんから、お年寄りまで住民票のある方全員に個人番号を割り当て、来年1月から申請を開始するマイナンバー条例が審議されました。

この制度は利便性が強調されていますが、国民一人ひとりの各種個人情報を個人番号(マイナンバー)によって結びつけ、一元化する制度で、情報漏えいによる犯罪などの危険性を高め、プライバシーの侵害や税の徴収強化も含め国民に負担増をもたらすものです。

この制度の導入には多額の費用がかかり、北区だけでもすでに15億円余りが使われています。

9月11日の企画総務委員会でこの条例は自民・公明・民主の多数で可決(共産は反対)されましたが、共産党は導入にあたって様々な問題点を指摘しつつ、わかりやすい周知を求めました。
(詳しくは9月20日付北区kにニュースに掲載予定)

8・30国会前10万人大講堂に参加して
8/30戦争法案反対12万人が国会包囲
8月30日の「国会10万人、全国100万人大行動」に、ここで参加しなければ悔いが残ると、神谷の仲間と10人で参加しました。(主催者発表参加者12万人)
永田町の駅はのぼり旗やトイレの行列であふれていました。

池内さおりさんがあいさつされるというので30分も前から、国会図書館前の集会場に陣取り始まるのを待ちました。

2時きっかりに全国一斉に「戦争法案今すぐ廃案」「安倍政権は今すぐ退陣」「9条守れ」とシュプレヒコールから集会は始まり、気持ちを一つにしてコールするのは圧巻でした。

私も思い切り声を張り上げました。集会は国会議員、学者、民主団体、ママの会、シールズの学生と次から次へと連帯の挨拶が続きます。

国会図書館前、12万分の10
国会前を見に行った人が「もう身動きできないよ」とすぐ戻ってきました。

ママに手を引かれた幼い男の子が「ボクは戦争に行きたくない」と首からかわいいプラカードを下げていました。
私も孫をそうさせじと固い決意を込めて家路に着きました。
(神谷2丁目 T.T.)
【街の色】
王子五丁目団地家賃値上げ反対にお力添えを!
王子五丁目団地
2013年12月の閣議決定で平成27年度中に、家賃改定ルールの見直しを求められたことから、都市機構は来年4月改定実施に向け、(1)値上げ幅の拡大 (2)改定周期の短縮 (3)低所得者高齢者の家賃特別処置の継続 等について検討を始めました。

UR機構が今行なっている「家賃改定ルール」の見直しは、居住者の不安を広げています。全国自治協アンケートでも72%の人が家賃値上げの負担が重いと答えています。

公団(UR)住宅に住んでいて不安に思うことは「値上げで家賃が高くなり支払えなくなること」が一番多く65%に上がっています。

太田昭宏国土交通大臣は、都市気候に対し「家賃改定ルール見直しに当たっては居住者の意見を十分聞いて検討している」さらに「居住者が安心して住み続けられること。団地は地域の貴重な財産として地域全体の安心に貢献すること。改革の名のもとに居住者を追い出すことは絶対にあってはならない」と繰り返し答弁していました。

有村治子規制改革担当大臣をはじめ政府の皆さんに、高齢化に伴い年金生活で低所得化している居住者が、安心して住み続けられる低家賃政策を進めていただくようお願いしたい。

今年3月25日衆議院内閣委員会で、池内さおり日本共産党衆議院議員の質疑の通りで、居住者の生活実態に即した低家賃政策が不可欠です。

12月に行なわれる全国自治協統一大運動に向けて、頑張りますので力をかして下さるようお願いいたします。
王五団地四季の会
宮堀の渡し
江戸時代には西新井大師への参拝客や荒川堤の花見客などを乗せたという古文書が伝わっています。現在UR神谷堀公園ハイツ左側の児童公園内に宮堀渡船場跡碑がありますが実際の船着場はもう少し環七よりにありました。

1924年(大正13年)6月に荒川放水路の13年に及ぶ大工事が完成し荒川の流れが分離通水されると、足立区新田一帯は放水路と現隅田川に挟まれて中洲のような陸の孤島状態になりました。そのため一時期途絶えていた「宮堀の渡し」(神谷の渡しとも言う)は大正末期から復活しました。

神谷や十条に住む人々は、毎月21日が縁日の西新井の大師参りに出かけたり、足立区鹿浜に「虫切り」という小児の疳の虫を押さえるため親指と人差し指の間をほんの少し切っておまじないのように治す治療所(現在では鍼灸院)があり宮堀の渡しで往復しました。

記憶はありませんが僕もやってもらったことがあると母から聞いています。

1958年(昭和33年)頃の乗船賃は大人が10円、子ども5円、自転車は別に5円でした。対岸の新田は変電所がぽつんと見えるだけで葦の生えた湿地帯があり蛙を取って遊んだ記憶があります。

1924年(大正13年)10月には荒川水門が完成して荒川(現隅田川)の氾濫が無くなったおかげで、昭和初期から神谷、志茂地域の隅田川沿いに工場が進出し始めました。
 
そしてこの渡しはその工場などの通勤客が利用するようになり、1960年(昭和35年)の冬には役目を負え、廃止になりました。

1950年(昭和25年)頃の「宮堀の渡し」 写真は1950年(昭和25年)頃の「宮堀の渡し」
左億は志茂、神谷の工場群。
対岸は足立区新田の森。 撮影場所は神谷の船着場。
北区飛鳥山博物館所蔵写真より転載)
 
神谷3丁目 U.T.
【ギャラリー】

神谷在住 N
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