2021.03.27
女性が安全に抑圧されずに生きられる社会
例えば、駅のホームや道路などで、男性からぶつかられたと感じた体験が私にもある。
偶然ぶつかった時は「すみません」「大丈夫ですか」と声をかけあうことが多いが、相手にぶつかられたと感じた時は、えっ?何?と驚き、中でも「あぶねぇんだよ」とか、舌打ちとかされた時には、恐怖と怒りを感じ、傷つくのは当たり前のことだ。
何が面白くなくて、何にストレスを感じているのかわからないが、それを自分より弱いと見る、または下に見る女性に対して、ぶつけるのは暴力であり、女性差別というのではないのか。
傷ついた人が、傷を受けたと声をあげることは容易いことではない。自身の平常を保とうとして「気にしない」「あきらめる」「アクションすることで更に傷つきたくない」など、一時的にも折り合いをつけ自己防衛するから。
それでもなお、傷を受けたと声をあげるのは、理不尽に自身を踏みにじられたことをなかったことにしない。そして二度と繰り返したくない。他の人にも同じ被害をつくらないと考えるからではないのか。
傷をうけたと声をあげた時に、バッシングする社会をもう終わりにしよう。勇気を出して発してくれた人の話に耳を傾け、想像力をはたらかせること。自分の無意識や無理解により、2次加害にならぬよう自戒したい。これは、#NeToo から学んだ大切な姿勢。
痛みを声に出せない人は、数多くいる。声をあげた人がどんな対応をされるのか、みつめるたくさんのまなざしがある。声をあげていいと思える関係や社会をめざしたい。女性が受ける傷つきや痛みに、寄り添い、癒し、励ませる社会、女性が安全に生きられる社会をつくりたい。
それは、民主主義が発展することと通じている。子どもや若者、障がいやマイノリティ、外国籍の方はもちろん、男性にとっても人権が尊重される社会につながることではないか。