済州4.3の歴史に思いをはせる

 アジア女性で初めて、ノーベル文学賞を受賞した作家、ハン・ガン著「別れを告げない」で、私は、韓国の歴史で長くタブーとされてきた一般市民への虐殺、国会犯罪があるということを知りました。

そして昨年、済州4.3の歴史を訪ねる旅に参加し、済州4.3平和公園と平和記念館、200人近くの住民が虐殺された北村小学校付近、順伊(スニ)おばさんの文学碑、失われた村東広里、ソダルオルムやトジンモク虐殺跡地、百祖一孫之地などへ足を運びました。

その内容は、大変に重く濃厚で、とても一度では受けとめきれない衝撃だった。済州の人々は、70余年前、日本の植民地支配からの解放の中で、南北分断を防ぐために立ち向かった果てに、悲惨な犠牲を払うことになる。

済州島での武装闘争が、4月3日であったことから「済州4.3事件」と呼ばれる由来に。この武装闘争鎮圧の過程で、多くの一般島民が犠牲となり、その数は2万5千人から3万人と認定(認定されていない犠牲者もいる)されている。

それは、アメリカと国家権力による反共ジェノサイトではないかとさえ感じた。一人ひとりの生身の人間に、その人生に襲いかかった惨状を思うと、身も心も引きちぎられる思いがする。

そして、その事実は、半世紀にもわたり「なかった歴史」のように、隠蔽されてきた。

それでも、真実を求める人々のたゆまぬ努力、1987年6月の民主化抗争、韓国の民主化が契機となり、後世において、その人権と名誉が回復され、補償が始まったことに、ひとすじの光、希望を感じる。

残虐な諸行の背景に、日本帝国主義の侵略の歴史と統治、治安維持法やアメリカなどの大国の世界戦略があるとすれば、

どんな国にあっても、一人ひとりの人権や平和に穏やかに生きる権利を尊重し、互いに理解しあい共生するための、市民の連帯、運動が幾重にも重厚に拡がっていくことが大切と感じている。 

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