活動日誌

2011年1月31日(月)

赤羽公園の遊具に関する説明会

赤羽会館で北区による「赤羽公園の遊具に関する説明会」が開かれ、地元住民ら約50人が参加しました。

冒頭、区が、老朽化した3つの遊具を撤去し、新しい複合遊具に取り換える計画について説明。これをうけての質疑では、近隣住民に十分な周知のないまま突然撤去工事をおこなおうとしたことへの意見とともに、「本当に撤去が必要なのか」 「愛着もある現在の遊具を補修して使えば、予算も安くすむのではないか」 などの声が相次ぎました。

参加者の一人は「遊具の安全性について区長へのはがきで問い合わせたら、『緊急に遊具の使用を禁止にしなければならないという判断には至っていない』『記録のある平成8年以降、北区に大きな事故が起きたとの報告はない』との回答があった」と紹介しました。

区側は「絶対に補修ではだめだといっているわけではない。今日みなさんから寄せられた意見を持ち帰って、再検討させてほしい」と回答しました。

2011年1月23日(日)

北区食育フェア

赤羽会館で「北区みんなで楽しむ食育フェア 2011」が開かれました。4階フロアいっぱいに「食」に関する展示や体験コーナーが設けられ、子ども連れのお父さん、お母さんたちが熱心に参加してい る姿が印象的でした。

2011年1月22日(土)

紫金草合唱団コンサート

川口リリアホールで、紫金草合唱団 10 周年記念コンサートがおこなわれ、妻と鑑賞。日中友好・平和をテーマに、日フィルとのすばらしい競演。を楽しませていただきました。いつもいっしょに活動している日本共産党の宇都宮章北地区くらし・雇用相談室長も出演し、美声を披露していました。

2011年1月21日(金)

若者就職サポートフェスタ

北とぴあ地下展示ホールで 「2011 若者就職サポートフェスタ in 王子」が開かれました。厳しい雇用情勢を反映してか、リクルートスーツに身を固めた若者たちが、緊張した面持ちで区内中小企業との面接会にのぞんでいました。

2011年1月16日(日)

川崎大師と横浜中華街 90人の志茂・赤羽後援会員のみなさんと初詣バス旅行

新年と秋の年2回、恒例となった志茂・赤羽後援会の日帰りバス旅行ですが、今回は2台のバスが文字通り満席となる、90名の後援会員のみなさんが参加してくれました。

朝8時に赤羽を出発したバスは、首都高速道路を一路南下、途中、建設中の東京スカイツリーや富士山を眺めながら、最初の目的地、川崎大師へと向かいました。

出発から約1時間、大師インターを降りて、インドの寺院風の祈祷殿駐車場に停車、バスを降りて境内まで歩きました。仲見世通りに入ると、トントントンという名物の飴切りの音。新年らしく初詣客でごったがえしていましたが、バスガイドさんの話では、それでも人の出は少ないほうとのことでした。

大本殿で初詣の参拝をしたあと、ぐるりと境内を一周。八角五重塔や釈迦如来像を拝観し、駐車場へと戻りました。横浜中華街で食事 次の目的地は、横浜中華街。横浜スタジアムの脇を通り抜け、中華街内の駐車場にバスを停車、善隣門近くの名店・大珍楼新館へと徒歩で向かいました。店内3階の宴会場に案内され、さっそく食事会に。私のあいさつと、乾杯の音頭に続いて中華料理食べ放題のバイキングが始まりました。

100品以上もあるメニューから次々に注文、北京ダックやエビチリ、フカヒレスープにココナッツムースと、絶品の料理に舌鼓を打ちました。

崎陽軒で買い物をした後、帰途につき、午後6時、無事に赤羽にたどり着きました。

2011年1月10日(月)

恒例の成人式宣伝 「若者が希望をもてる政治をともにつくろう」と訴えました

今年もやってきた成人の日。この日は毎年、成人式の会場となる北とぴあ前で街頭宣伝をおこなっています。いっせい地方選挙の年ということもあり、そねはじめ前都議、やまき直人区議、山崎たい子区議、ながいともこ区議予定候補とともに、かわるがわるマイクを握りました。

民主青年同盟の青年らもシール投票ボードとアンケート用紙をもって、元気に新成人にアタック。「政治を変える」カエル君も登場しました。

1月とはいえ、凍えそうな寒風が吹きすさんだこの日、いつもは会場前で談笑している新成人たちも、早々と会場内へと入って行きました。

私は「若者が希望をもてる政治をつくるために、いっしょに行動しましょう」とよびかけました。

2011年1月9日(日)

たった一杯でも宇宙を満たす感激がある

7日の朝、郷里・愛知の母親から「おじさんが今朝、亡くなった」との電話がありました。おじさんとは、父親の兄で、男3人兄弟の長男です。8日が通夜、9日が告別式とのことで、急きょ土日の予定を変更してもらい、葬儀に出るため帰省しました。

享年78歳、両親(つまり私の祖父母)から酒屋を継ぎ、刈谷市内で小売店を経営していました。8年前に妻に先立たれ、ここ数年は細々と店を開いていましたが、昨年10月についに閉店したばかりだったそうです。

商売がら、とてもお酒が好きだったおじさんでしたが、仕事の合間には独学で習得した墨絵や書を楽しんでいたとのこと。葬儀場には生前に遺したいくつかの作品が飾られていました。私が惹かれたのは、この一枚。曰く「たった一杯でも宇宙を満たす感激がある」。本当に、心の底からお酒が好きだったんですね。

7年前、私が妻を連れて結婚の報告におじさんを訪ねた時、自らを「百働会」(ひゃくどうかい)の会長だと紹介しました。「百働会」とは、100歳まで元気に働く会のことだと語り、全国に会員を組織するのだと豪語していました。喪主をつとめた長男(私の従兄)は、「逝ってしまうには22年も早いじゃないか」と耳元でささやいたそうです。100まではともかく、生涯を全うするにはまだ早すぎました。残念です。

ところで、今回の式場となった刈谷市のやすらぎホールは、私が3年間通った刈谷南中学校のすぐ隣でした。告別式に出かける前、懐かしい校舎をぐるっとひとまわりしてみました。

そういえば、この学校でお世話になった担任の先生が昨年、還暦を迎えて退職、みんなでお祝いをした時も参院選と重なり帰省できませんでした。仲良かった旧友の顔を思い浮かべながら、あいつは、あの子は今どうしているだろうと思い出に耽りながら、学校を後にしました。

2011年1月4日(火)

「長生きするなら北区がいちばん」というのなら…

今日は、そねはじめ前都議、地域の後援会員のみなさんといっしょに早朝の赤羽駅東口で、新年のごあいさつをおこないました。

仕事始めということで、普段より通る方が少なかったように思いますが、今年最初の早朝駅頭ということで、気合いを入れてごあいさつしました。始めてから10分ほどすると、「失礼します」といって隣に立ち始めたのが「みんなの党」の男性。のぼり旗を立てて肉声であいさつを始め、しばらくすると現職の区議の方もやってきました。毎週火曜日は、必ず赤羽駅東口で活動報告をさせていただいていますが、これからは選挙を意識して、他の会派の議員も駅頭に立ちはじめるのでしょう。

午前11時からは北とぴあで、恒例の北区賀詞交歓会がおこなわれました。花川区長は年頭のあいさつのなかで「『長生きするなら北区がいちばん』をめざします」とのべました。先の定例会あたりから、区長がよく使うフレーズです。北区の高齢化率が24%を超え、23区で第1位となったことを意識しているのでしょうが、その北区でお年寄り一人当たりの高齢福祉費は23区中17位なのです。これでは本当にお年寄りにやさしい区政とはいえません。

日本共産党北区議員団は高齢者対策として、特養ホームの待機者ゼロをめざすとともに、24時間の高齢者見守り体制の確立、地域包括支援センターの抜本的体制拡充など、具体的な提案をおこなってきました。本当に「長生きするなら北区がいちばん」をめざすというのなら、こうした施策を率先してすすめるべきではないでしょうか。

2011年1月2日(日)

宣伝カーで新年のごあいさつにまわりました

新年にあたり、宣伝カーで志茂、赤羽、赤羽南、岩淵の地域を宣伝カーでごあいさつに回りました。

街頭で訴えていると、近寄ってきて声援を送ってくれたり、遠くから手を振っていただいたりと、正月から思った以上の反応がありました。最近は、どなたとお話ししても「民主党にはがっかりした」「もう民主党ではダメだ」と、失望や怒りの声に出会います。消費税増税や沖縄への新基地建設を押しつけようとしている菅民主党政権では、国政でも外交でも国民の期待にこたえられないことは明らかです。

春のいっせい地方選挙では、地方から国の政治を変える大波を起こすために、日本共産党の躍進を何としてもかちとりたいと思います。

2011年1月1日(土)

あけましておめでとうございます。いよいよ、いっせい地方選挙の年です

深刻な経済状況を打開できないまま、新しい年を迎えました。旧年中のご支援に心から感謝を申し上げるとともに、ゆきづまった政治を打開し、「国民が主人公」の新しい日本社会を切り開くために全力をあげる決意を表明いたします。

今年はいよいよ、いっせい地方選挙の年です。区民のみなさんにとって、一番身近な区政の問題が問われる区長、区議会議員選挙がたたかわれます。

日本共産党9人の北区議員団は、衆議院なら100議席に匹敵する大きな力で、みなさんの声を区政に届け、願いを実現してきました。引き続き、9人がみなさんのために働けるよう、引き続くご支援・ご協力をお願いいたします。