NO.117 2015年4月号 |
厳しいたたかいです
宇都宮章の支持をもう2票、3票 広げて下さい。
区議選・区長選・告示日 4月19日/投票日26日 |
|
9人の区議予定候補全員を押し上げ
安倍暴走政治にストップを
春うららかな3月28日土曜日の午後、そねはじめ都議会議員の司会で日本共産党演説会が始まりました。
会場の赤羽岩淵中学校の体育館には早くから大勢の人が駆けつけて、壇上にならんだ9人の区議予定候補の表情は大観衆に嬉しさと緊張感で笑顔も八分咲きという感じでした。
都知事選で戦った宇都宮けんじさんの連帯の挨拶に続いて池内さおり衆議院議員がさわやかに登場。
区議予定候補9人をユーモアタップリに実績を紹介、会場に大きな笑いがこぼれ一気に緊張感もほぐれました。我が宇都宮章予定候補を称して「帽子の似合うダンディーな人」と紹介。
そのあと9人の区議予定候補が次々に決意表明。
宇都宮区議予定候補は「2期目の選挙です。人間らしい暮らしと平和を脅かしている今の安倍自公政権から区民のくらしと平和を守るための「かけこみ寺」になるように頑張りたいと思います。皆さまのご支援をよろしくお願いします。」と力強い挨拶に会場から大きな拍手。
最後にあいさつに立った小池晃参議院議員は「安倍自公政権の国民が望まない原発再稼働や平和憲法の改悪等、国民が反対する声に全く耳を持たない暴走政治をこの選挙で勝利してストップさせよう」と宇都宮予定候補をはじめ9人の区議候補予定者全員の活躍ぶりを紹介し、支持を訴えました。
区長予定候補
川和田ひろし氏が決意
川和田ひろし区長予定候補は北区民商の事務局長としての経験を語り、国や都のいいなりの現区政から「区民が主人公」の北区政への転換を9人の区議予定候補とともに頑張りたいと決意をのべました。
|
初めて街頭宣伝に参加して |
自共対決そして「第三の躍進を本格的な流れに」をかかげて統一地方選挙をむかえています。まさに今回の選挙は一票一票が当落を決める激戦になっています。そして日本共産党に対して、卑劣きわまりない攻撃もなされています。
日本共産党宇都宮地域後援会では、区議会二期目の挑戦を何としても押し上げ当選させたいと奮闘しています。その一環で街頭宣伝に打って出ました。
私自身初めての街頭宣伝で、緊張しましたがやりがいもあり、楽し
電話で支持を広げる後援会員 |
く時間がたちました。つくづく選挙は息長く楽しく又、一致団結して
やるものだと思いました。
現有9議席絶対の勝利をめざし、短期決戦、激戦に打ち勝ち得票数で躍進したいものです。(A)
|
宇都宮章選挙事務所開き |
◆日時4月12日(日)
◆午後3時〜4時
◆多数のご来場をお待ちしております。
|
【街の色】 |
百年前の神谷に飛行場がありました。
我が国に飛行機が飛び始めたのは1910年(明治43年)で、大正に入ると各地に飛行場が出来て神谷にも飛行場がありました。
現在の赤羽警察署(神谷3-10)辺りから、神谷2丁目47番地の北運動公園の方向が滑走路になっていました。
正確な位置は定かではありませんが『東京朝日新聞』1917年(大正6年)6月20日の記事には「王子電車の終点から『神谷飛行場に至る』と記せる新しい道標を辿って小一里近く行くと開けた稲田の中に荒川の水路を左手にして岸博士が経営する新飛行場が近く成らんとしている。場の総面積は18万坪で、既に4万坪ばかりは地均し(じならし)が出来上がって居る」とあるので舗装された滑走路ではありません。
当時の人にとって飛行機は珍しく、見物人は木戸銭50銭を支払って飛行機の離発着を見に来たといいます。
隣接の向上ではエンジンから国産して新型機も作られていました。初期にはモーリス・ファルマン型岸式「つるぎ」6号4機を陸軍に納入しました。
のちに飛行機王と呼ばれた中島飛行機製作所(ゼロ戦を作った会社)を立ち上げた中島知久平も見学にきたと記録があります。
しかし1919年(大正8年)神谷志茂地域は大洪水で、飛行場も隣接工場も甚大な被害を受け、折からの不況も重なって1921年(大正10年)3月この会社hた倒産し4年足らずで閉鎖となります。
神谷・U |
【ギャラリー】 |
|
|