母の最期を看取る

 予算議会を終えた次の日、急いで北海道へ向かった。一人暮らしの母が、自身の最期を自宅で過ごしたいと希望し、母との時間を共に過ごすために。

 母は健康オタク?で、健康に関する雑誌や本をよく読み、大事なところは赤線を引き、自分なりの判断で食事や生活にいかしていた。病院が大の苦手だったこともあるかもしれない。あばら骨や手首など、何度か骨折したことがあったが、受診しなかったほどである。

 そんな母のターミナルケアを支えるために、まったくつながりのなかった医療や介護の制度や社会資源を一気に準備し、活用する必要があった。

 介護保険の申請、認定調査、介護ベットやエアマットなど介護用品の準備、車いす、ストレッチャーのままで病院に受診ができる福祉カーの活用、在宅酸素、訪問看護、入浴カーの利用、通院が厳しくなってからは往診にきりかえと、市の地域包括支援センターや社会福祉協議会、市立病院、診療所、看護師、ケアマネ、福祉事業者、医師の方々の見事な連携とプロフェッショナルな支援を頂き、

 母は最期、望み通り自宅で時を刻み、お世話になった友人や親せきにも会い、子ども達や孫に囲まれ、ゆっくりと息をひきとった。7年前に他界したつれあいの父と同じ命日だった。

 世界はコロナウイルス感染の蔓延で、大変、厳しい日常が続き、命もくらしもままならない中、最前線で命を守るために尽力している医療、介護従事者の方々に、重ねての感謝でいっぱい。

 自分自身も、必ず誰かの懸命な行動によって、生かされ、生きているということを、しみじみ感じる日々。

 新緑が眩しい東京に戻ってきた。付託を受けた政治の責任を、これからもしっかりと果たすために努力を続けよう。

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