2020.06.17
都政の選択、コロナ禍で思う
皆様、お元気でいらっしゃいますか?コロナ感染症の緊急事態宣言が発令され「スティホーム、家にいましょう」により、普段できないことに取り組めた方もいらっしゃる一方、多くの方は、人との交流が絶たれ、不安や寂しさ、ストレスを感じられていたのではないでしょうか。
仕事ができなくなり、収入がなくなり、生活や営業の見通しがもてない。日々のくらしもままならない。せっぱつまって眠れない夜を過ごしている方もいたと思います。
私は、北海道で一人暮らしをしていた母の体調が悪くなり、介護のため、しばらく帰省し、母の実家で母の最期を看とりました。コロナ感染の緊張感の中、支えてくれた医療・介護従事者の皆さんには、感謝の思いでいっぱいです。
余命を宣告されていた母は、家族や友人に、最期の言葉を伝えていましたが、一番の感謝を、自分の母(私の祖母)に送っていました。祖母は、若くして夫に先立たれ、3人の乳幼児と義父母を抱え、朝早くから、夜遅くまで、懸命に働いてきた人です。
都知事に出馬を表明された宇都宮けんじさんも、傷痍軍人のお父さんが、その身体をおして、朝早くから夜遅くまで、荒れた土地を黙々と開墾する姿を見て育ったとのこと。
宇都宮けんじさんは、「私たちの社会は、自分の父や母のように、懸命に生きてきた名もない人たちによってつくられている。そうした人々のいのちや暮らしを支えるのが政治や行政の役割」と訴えています。
宇都宮けんじさんは、生活が困窮し、サラ金、ヤミ金に追われた人たちの命綱として、脅しや暴力にも一歩も引かず、闘ってきた弁護士。地下鉄サリン事件の弁護団。リーマンショックで仕事も住まいも失った人々の「年越し派遣村」名誉村長。東日本大震災では、日本弁護士連合会会長として、被災者支援を牽引しました。
優しそうな物静かな物腰の奥に、真の強さと知性をもち、「誰ひとり取り残さない」と、現場で活動してきた人です。
宇都宮さんが泣いた。街頭で、コロナ禍で経営が立ちゆかず、揚げ湯をかぶって焼身自殺した可能性があるかもしれないと実況検分で聞いた話をされた時。一瞬、言葉につまり、その場が静寂につつまれました。宇都宮さんは、嗚咽をこらえながら、「何のために都政はあるんですか」と振り絞るように叫び、そしてまた涙をこらえ、目をつぶって天を仰ぎました。
都民の痛みが、心底わかる人こそ必要です。
保健所や都立病院を縮小してきた都政が、感染症に脆弱な公衆衛生、医療体制にしてきたのではないか。オリンピックを優先させ、コロナ感染症の必要な検査を抑制してきたのではないか。都民に自粛を求めるなら、セットで営業・生活保障を早く!
「自分ファースト」パフォーマンスの知事から、本気で都民のいのちとくらし、ひとりひとりの生存権を守る都知事、都政にとの思いがつのります。
そして、北区では、都議会の補欠選挙も行われます。日本共産党は、そねはじめ都議が現職で活動しており、今回は、宇都宮都知事を支える議席が増えるように、立憲民主党公認の斎藤りえさんと政策合意をかわし、社民党、新社会党、市民団体の皆様と共に、支援していきます。
斉藤りえさんは、障がい当事者として、北区議会議員を1期4年間つとめました。毎回の議会質問で、防災やまちづくり、福祉施策の拡充を提案。その中のひとつ「北区手話言語条例」の制定も実績のひとつです。
当事者としての思いや言葉、活動に、私自身もたくさんのことを学びました。都議会でもその役割、存在はかけがえのないものと思います。