鉄の造形展「戦死者たちからのメッセージ」

「第27回平和のための北区の戦争展」に足を運びました。

今年はジャーナリストだった「武田美通(よしとう)」さんが、60歳を前に、鉄の造形作家の道を歩み、享年80歳までの晩年の15年間、

日本が戦争する国への兆しがみえてきたと「戦死者たちからのメッセージ」という作品に取り組んできたという。

その中の6点が造形展として、紹介されていました。

息をのむ。衝撃が迫る。動けなくなる。

しばし、そのメッセージに、身も、心もフリーズした。

飢えと病の果ての自決、敗走を続ける兵士たちには、すでに武器弾薬や食糧の補給が途絶えて久しく、飢えと病が蔓延し、動けなくなった兵士が続出した。こうした中、自力で歩行不能の兵士には、手りゅう弾か小銃による自決が強いられた。戦死者230万人の6割以上が餓死であった。
しっかりと乳首に吸いつく我が子。いとおしげにその無心の表情を見下ろす若い母。だが、手に握った手榴弾(日本軍のもの)の安全ピンは、すでに抜かれていた。4秒後には爆発して、母子は肉片となって飛び散る。戦火に追いつめられた民間人が、こうして自決していく姿は、サイパン島で、沖縄で、中国大陸で、多数見られた。
あの日から73年。雨ざらしだった白骨の我が身に、敢えて当時の兵装をまとい、長い年月をかけてようやく帰ってまいりました。召集令状1枚で、戦場に駆り出され、飢えと病の果てに密林の奥深くで死んでいった私たちの最期の願いは届いているのでしょうか。あの戦争は何だったのかー。しっかりと検証されたのでしょうか。私たちの死はムダではなかったのでしょうか。それを確かめたくて帰ってまいりました。

鉄の造形作家。武田美通さん。

1935年ー2016年5月15日 享年80歳。1935年北海道小樽市生まれ。皇国の少年として育ち、国民学校(小学校)1年生の時、太平洋戦争に突入、4年で敗戦。早稲田大学で社会学を学び、日本経済新聞社の記者として、10年勤務。以後、テレビ東京に転身。60年安保取材をスタートに、激動の昭和後半を目撃。海外取材を含め、36年間のジャーナリスト生活だった。とりわけ少年期からのテーマ「戦争とは、、、国家とは、、、軍隊とは、、、」のもとに、アメリカ海兵隊や自衛隊などの取材に力を入れた。60歳を前に、造形作家の道を歩む。当初は音楽家や鳥、花などの作品づくりに取り組んだが、それらは400点を超え、人気を博した。しかし「戦争をする国」への兆しがみえたとき、それまでの作品づくりでよいのかと自問。以来15年に及ぶ「戦士者たちからのメッセージ」制作に取り組む。音楽家や動物を作り続けて獲得した創作力は、戦死者たちの無念、悲しみ、やさしさをも表現する力強い、繊細な造形を可能にした。遺された作品はこれからも人々との心を揺さぶりつづけ、次世代への力強いメッセージとなるであろう。

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