2025.03.09
3月8日、国際女性デー
3月8日は国際女性デー。「2025.3.8国際女性デー青森集会」に参加し、女性政策研究家の三井マリ子さんの講演「ポスターに見る世界の女たち」を聴講しました。
「3月8日は、女であることを喜び、女をみくびる慣習や意識に闘い続けようと誓い合う日」と三井さん。会場には三井さんが世界各国を訪ね、集めてきたポスターも展示され、その内容を紹介しながら、おんなたちの闘いの歴史をたどりました。


講師の三井マリ子さんと。
国際女性デーの始まりは、世界恐慌が吹き荒れた1908年3月8日。
ニューヨークで「労働時間の短縮、賃上げ、選挙権、児童労働の廃止」を求め、15000人の女たちが、「パンとバラ」のスローガンをかかげデモ行進をしたことにちなみます(パンは、賃金や労働条件など経済的安定を、バラは女性の尊厳と生活の向上を示す)
1910年、1911年と、デンマークで17ヵ国の女たちが集まり、国際社会主義労働女性会議が開催(女性が主体となり、女性の権利のための大集会)スローガンは、女性参政権、政治参加。
1975年、国連が女性デーを祝おうとなり、日本政府も腰をあげることに。
1978年、私のからだは私の権利。妊娠中絶の自由を! 自己決定権を求めるポスター。

1991年、フランスが国をあげて広報。女たちよ、あなたの権利を行使せよ。

1995年、北京女性会議。世界190ヵ国、約4万人が集まり(日本からも多くの女性が参加)北京行動綱領が採択。
(この年、1歳の乳飲み子を抱える私が北区議会に初当選。市民派出身の方も含め、北区でも女性議員が4人から7人へ増え、北区男女共同参画推進ネットワークが超党派で結成されました)
2001年、フランスで、移民女性(アラブ、アフリカ、アジア)が、私たちは娼婦でも女中でもない!
と、皆が知っている女性への侮辱的な言葉を使ってアピール。挑み、プライドを持って立つ姿に圧倒されます。

2009年、ノルウエー この髭が目に入らぬか!
たった一つのひと筆で差別は変えられる。インパクトあるポスターがネットでも拡散された。男女の賃金格差に怒り、経済の平等。同一価値労働、同一賃金を求めるもの。

2015年、国際労働機関 20年も待たせるな!
北京女性会議から変わっていない。女性の貧困や女性への暴力の撲滅。教育、経済、政治への平等なアクセスを求める。

2024年、オスロの女性デーで大終結。

三井さんは、男女平等と女性差別撤廃を求め、この間、ノルウェーへの旅を重ねてきました。
現在、北欧では、内閣・国会の4割~5割は女性。ノルウェー国会の10の政党の党首は、全員女性というジェンダー平等社会が進行しています。
1986年、朝日新聞に、ノルウェーの首相は女性。閣僚18人中で女性は8人。女性比率40%という記事が掲載され、日本の政治の姿の違いに驚き。1989~1991年、ご自身がノルウェーに行き、実際の社会のあり様を観て、本当にびっくりしたと。
当時、首相は小児科医で4人の母。首相を含め、閣僚19人中、女性は9人。47% 国会議員の36%、最大与党(労働党)は51%が女性。
1996年、ノルウエー・オーモット市を訪問。女性2人市長。女性議員は56%
2019年、棚からぼた餅はない。人権を迫害され差別されている人が闘って勝ちとってきている。選挙は個人ではなく、党の政策で闘う。選挙小屋があり、子どもからお年寄りまで集まり盛り上げる。
民主主義を子どもの転から身近に体感できる。
NGOセーブザチルドレンも手伝い、子ども選挙を実施している。選挙は民主主義の生きた教科書。政治をタブー視しない。
小5年、政党事務所をまわり取材。アンケート用紙も自分達で作成し、政党でヒヤリングして討論する。
高校生徒会主催で、政党代表を呼び討論会。選挙を真剣にとらえ会場は超満員。生徒自身もリアクションを示し、模擬投票も本番さながら、その結果を新聞、テレビが大きく報道する。
ノルウェーはかつて、スウェーデン、デンマーク、ドイツなどの支配下であった歴史があり、抵抗をポジティブにとらえている。
1946年、日本の国会議員比率は北欧より高かった。しかし、この80年。2024年、日本のジェンダーギャップ指数は118位にまで落ち込んでいる。
ジェンダーギャップ指数1位~10位の国では、選挙制度は比例代表制。
政党が名簿で、移民、難民、障害、若者と登載し、有権者は政党カードを選んで投票(書かない)、マイノリティでも議員になり、政策決定に参加できる。
人口の半分は女性。高齢社会は半分以上が女性。女性の権利を守ることは、ハンディのある人、貧しい人、少数者の人々の権利擁護につながるもの。
日本には、女性議員が一人もいない自治体がいまだ200以上ある。Lykke til頑張ろう




半島の海の先は、北海道

