終戦(敗戦)から75年

 2020年8月15日、今日は天皇制日本政府が、ポツダム宣言を受け入れて降伏し、第2次世界大戦が終わった日から75年目となる。

 15年にわたる日本の侵略戦争で、戦死した軍人は230万人。民間人の海外での死者は30万人。原爆(広島14万人、長崎7万人)や空襲などによる死者50万人以上と、310万人以上が犠牲となり、アジア・太平洋各国に、2000万人以上の犠牲者を出しました。

 犠牲となった一人ひとりに、そのかけがえのない人生や愛する家族、友人がいたことに思いを寄せ、二度と再び過ちを繰り返さぬよう、後世に生きる一人として、その責任をになって生きることを改めて心に刻みたいと思う。

 私を含め、戦後世代が増え続け、戦争の実相、悲惨さを風化させることなく知る、学ぶことは、とても大切なことだと思う。

 同時に、一昨年、亡くなられた映画監督の高畑勲さんが、映画「火垂るの墓」は「反戦映画ではないし、なりえない」と話されていたことに引きつけられた。

 高畑氏は「負け戦の果てに、自分たちが受けた悲惨な体験を語っても、戦争を防止することにはならないだろう。もっと学ばなければならないのは、そうなる前のこと、どうして戦争を始めてしまったのか、どうしたら始めないで済むのか。そして、いったん始めてしまったあと、偽政者は、国民は、いったいどう振舞ったのか、なのではないか」と語り、

 被害者の視点で戦争の悲惨さを伝えるのは、真の「反戦」とは言えず、戦争を食い止める力にならないのではないか。悲惨さを語る以上に、戦争をおこした過ちを見つめ直す重要性を語られていたとのこと。

 日本はいまだに、侵略戦争の責任を認め、アジア諸国への真摯な謝罪を示していない。加害の歴史そのものさえ、そんなことはなかったと、歴史を修正しようとする動きさえある。

 その清算されていない歴史的課題が、政治や外交でも、人権やジェンダー、教育の課題でもいまだに表れているのではないか。

 そして今、日本では現政権の下で、秘密保護法、安保関連法(戦争法)、共謀罪法が次々と強行採決され、最終的には憲法9条を改悪し、日本を再び戦争できる国につくりかえようとされている。

 ドイツをはじめ、諸外国の戦争への向き合い方をみるにつけ、自分自身も「戦争をおこした過ちを見つめ直すこと」を自ら問い、平和と民主主義を勝ち取ってい行く主権者の一人として、政治そのものを変えていきたいと思う。

 

 

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