2022.08.06
最も若い被爆者-胎内被爆し生まれた「奇跡の存在」
私は先日、きのこ会(原爆小頭症被爆者と家族の会)の事務局長である平尾直政さんのお話を伺いました。
広島に、世界で初めて、原子爆弾が投下された77年前の8月6日。
その時、妊娠していた女性の胎内で被爆し、強力な放射線を浴びたことが原因で、脳や身体に障害をもって生まれた子どもたちがいる。頭が小さいことが特徴の「原爆小頭症の子どもたち」
ABCC(原爆傷害調査委員会)の調査によると、その子ども達は広島で48人。長崎で15人。あわせて63人いたと発表されています。
人数は少ないように思えるが、原爆小頭症は母親が強力な放射線を浴びることで発症するため、ほとんどの人は被爆直後に亡くなっていて、たとえ生き延び、出産できたとしても、流産か死産だった方が多く、成長しても様々な障害や病のために早く死亡した人は多いという。
原爆小頭症の子どもたちは、2重、3重の困難をくぐりぬけた「奇跡の存在」だと言えるとー。
そうして生まれた「最も若い被爆者」である子どもたちは、戦後、どのように生きてきたのか。
専門家の間では、その存在が知られていたが、一般には公表されず、ABCCも「障害の原因は栄養失調だ」と、偽りを伝え、その存在を隠し続けていたという。
その原爆小頭症の子どもの存在が市民に明らかになったのは、広島のジャーナリストの調査からとのこと。
偏見、差別にさらされたくない。つらい思いをしたくない。そんな家族の思いものりこえながら、ひとり、またひとりと探し出された子どもたち。ようやく戦後20年たって、6家族が集まり「原爆小頭児の家族会」が結成され、きのこ雲の下で生まれた小さないのちであるが、木の葉を押しのけ成長するきのこのように元気に育ってほしい」との親たちの願いで「きのこ会」と命名されたと。
そして、会の結成から2年後の1967年に、きのこ会の原爆小頭児6人が「近距離早期胎内被爆症候群」として認定された。
なんと、なんと長い道のりだろう。
平尾さんは、その一人一人の生涯の一旦を紹介し、確かに生きた。そして今も生きている「最も若い被爆者」の存在を伝えてくれました。
そして、原爆を投下したのはアメリカであるが、原爆小頭症の子どもと家族に、「冷たいまなざし」差別や偏見をむけた人たち、私たちがいることも深く問いかけました。
被爆者の方々は生き抜いて、二度と自分たちの身におこった苦しみを、他の誰にも繰り返してはならないとー、
NO MORE HIROSHIMA NAGASAKI と、核兵器廃絶を世界にもよびかけ行動してきた。
そしてついに国際社会は、核兵器禁止条約を採択・発効し、その世界を拡げようと歩み始めている。
決して、その歩みを後退させてはならない。
77年目の今日。私も改めて、核兵器廃絶を誓い、行動していこうと決意する。