地域防災力の大切さを学ぶ

12月3日(火)防災講座「被災地支援から学ぶ、地域防災力の大切さ」(東京ほくと医療生協主催)に参加しました。講師は、災害協働サポート東京事務局の福田信章さん。

福田さんは冒頭「災害は忘れた頃にやってくる」と以前は言われていたが、今は「忘れる間もなくやてくる」という状況だと切り出し「1995年の阪神大震災から来年で30年になるが、防災の取組みはゴールのないマラソンのようなもの。短期でがんっばても続かない。頑張りすぎず、年に2回でいいから、真剣に防災のことを考え、話し合う日をつくってほしい」と問題提起。

1、災害を少し振りかえってみようーと

1995年、阪神大震災。「まさか」と誰もが思った。高速道路やビルが倒壊。6134人の命が犠牲に。7~8割が家屋や家具の倒壊による都市型災害。「耐震補強」「家具転倒防止」が強調された。その100年前は、関東大震災。「地震だ。火を消せ」が教訓に。

2000年、三宅島噴火災害。3885人全島避難。北区桐ヶ丘都営住宅にも200人以上が4年5カ月避難。

2011年、東日本大震災。津波被害で2万人以上が亡くなった。津波、水害では高台避難が教訓。

2013年、伊豆大島土砂災害。19人死亡。

2015年、鬼怒川水害。このあたりから毎年のように水害被害がおきるように。

多くの被害者が共通して語る言葉がある。それは「まさか」知らなかった。経験がなかった。想定していなかったと。確かに地震は予測が難しいが台風や大雨、豪雨は予測しやすく、いつ、どこで、どれくらい被害がでるかわかることが多い。少なくとも「いのち」を守ることはできる。

A「そんなに危険だと知らなかった」では、

北区でも「洪水ハザードマップ」ができている。例えばトイレなど日頃から目につく場所にはっておき何となくでもみておくことが大事。

B「こないだの台風でも大丈夫だった」では、

経験則は今、異常気象で通用しない。気象庁の記者会見が、今はTVで報道するほど危険度が増したということ。経験で過信しない。

C「気がついた時はもう逃げられなかった」では、

危険と思ったときはもう遅い。雨も風も強くなり実際に逃げられない。晴れているうちに交通が計画運休にならないうちに、早めの行動(避難)を心がける。その際は、ご近所にも声をかけて。

いのちを守るための行動

自分自身の「トリガー」(きっかけ、ひきがね)どんな情報が入ったら自分は逃げるのか。いのちを守るためには、危険な場所から離れることが最も確実。

どのタイミングで(移動手段の確認。バス、タクシー、徒歩ほか)どこに避難するか(安全な場所の親族、知人、友人宅。旅館、ホテル、避難所など)何を持っていくか(携帯、充電器は必須)人それぞれ条件が違う。自分自身、家族同士で考えることが一番大事。

家から持ち出すものより忘れないことは・ブレーカーを落とす(通電火災防止)・雨戸を閉める・低いところにあるものは高いところへ移動。

●くらしを守るための行動

避難している・していないにかかわらず、被害が出た地域においては長期にわたり影響がでる。くらしを守る活動は多岐にわたる。

被災し疲労がたまってくると、怒りやすくなり、そのうち精神的も落ち込んで元気がなくなってくる。この段階をハイリスク予備軍とよび、地域住民の力でお互いにフォローし合えることが大切。そこが崩れると、ねこむようになり、病気になってしまう(ハイリスク者)災害関連死となることあり。

一人の力、一つの団体や組織で対応するのは無理がある。様々な協力、連携(住民組織、学校関係者、行政職員、事業者組織、宗教者、NPO/NGO)などがあって、はじめて、くらしを守ることができる。地域でおこる災害。地域の人たちのエリアと課題(テーマ)でつないでいく。日常から顔のみえる関係性をつくっていくことが大事と強調されました。

講演をうかがい、防災がまさに自分事として考える学びをえることができました。

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