城北大空襲から80年

 1945年4月13日~14日にかけて、東京北部を襲ったアメリカ軍による「城北大空襲」は、B29爆撃機が約350機来襲し、死者約2500人、被害家屋約20万戸という甚大な被害をもたらしました。

 北区の豊島地区でも、落下した焼夷弾により、民間住宅だけでなく豊川小学校やトンボ鉛筆の工場が全焼するなど大きな被害を受けました。

 私も地域の高齢者の方から、「空襲の中、逃げまわり本当に怖かった」「焼け野原になり、豊島町から王子駅が見えた」との話や、今年、創立150周年を迎える豊川小学校は、校舎の全焼により一時は廃校が決まっていたが、地元住民の強い要望で存続することになったと、話をうかがったことがあります。

 戦後80年。戦後生まれが9割を占める中で、東京大空襲や城北大空襲の戦争体験についても、後世に語り継ぎ、地域からも平和への願いを拡げていきたい。

北区飛鳥山博物館 研究報告 第27号でも、関連文書が掲載されています。

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