コロナ禍でみえた教育政策の課題

清水睦美日本女子大学教授の講演「コロナ禍で見えた教育政策の課題」を受講する機会がありました。

以下、学び、感じたことを記していきます。

冒頭、「子どもが生きる場としての学校はどうあるべきか」と問いかけた清水さん。私は改めて、その問いにドキッとする思いでした。

なぜなら学校は、子どもがのびのびと生きることを讃えあう、自分が安心して認められ包まれる、そんな場所であってほしいが、子どもにとっては辛い場になっている一面もあるからです。

清水さんは、子どもの状況(コロナ禍以前)として、

・小中学校の不登校が、H24年以降増加を続けている(要因は無気力・不安が4割、いじめ1.5割、親子関係1割ほか)

・小中高の管理下で、暴力行為が増え、特にH25年以降、小学生で急増し、R2年では発生率が6.8%に。

・児童・生徒(高校生含む)の自殺が増え続け、R元年は317人。R2年は415人(コロナ禍で特に高校生が増加)

・H18年以降のいじめの認知件数も増加し続けている(R2年は減少、コロナ禍で学校行かなくなったからでは?)

また、学校の状況については、

学校の再配分機能を高めようという動きと、階層・格差は避けて通れないとの容認の力が絶えずぜめぎあっていると評価。

2018年のベネッセが行った調査によれば、所得が多い世帯の子どもが良い教育を受けられるのを、やむをえないと肯定する割合は6割。問題だと感じるのは3割で、ゆとりのある世帯では、やむをえないが7割を超え、親世代の階層や格差に対する不寛容がある。

子どもの中にも、「仕方ない」とする感覚が拡がっているのでは?と指摘しました。

そんな中、コロナ禍で学校の役割が再認識されたとして、

「一斉休校」による子どもの社会的活動の場が奪われ、格差が拡大し、学校の存在の重要性、再分配機能の役割が認識されたこと。その後「分散登校」が行われ、はからずも、意図せず行われた少人数学級により、一人一人の子どもに丁寧にかかわり学びと生活を支えるの重要性が認識された。

少人数学級を求める世論が大きく高まり(国に寄せられた署名は半年で22万に)、ついに2021年度より、学級標準を35人に引き下げる改定が、実に40年ぶりに行われる力になったと紹介しました。

こうした状況を踏まえ、今後の教育政策の課題として、

1、競争ベースにした教育を見直していくこと

子どもが学校に戻ってきた時、まずは、どうしていたか、どんな経験があったか、「大変だったね」「頑張ったね」と多様な経験を共有し、存在を認め、ここにいていいと子どもの自律性の回復を促すことが大事ではないか。

2、目標とするのは、インクルーシブな教育

できるだけ同じ場で共に学ぶ集団とする。特別なニーズ(マイノリティ)を外に出し、排除するのではなく、包摂していくケア的な教室の運営が求められるのではないか。

また、受講者の質問に答えて、

ICT化やタブレット端末の活用も、個別最適化を超えて、先生と生徒、生徒同士、日本以外の国ともつながれる、管理のためではなく、世界を拡げ、つながれるツールに。外国籍の子どもも翻訳機能が活かせたり、言葉が話せなくても通じ合える。文字を書くのが苦手な子どもも、タブレットを使うと文章で表現できるなど、活用していけるとよいのではと、提起されました。

お話を伺い、それまでの格差と貧困の拡がりの上に、コロナ禍で大きく影響を受けている子ども達の育ちと学びをどう支えていくのか、更には、現場で苦闘している教職員の方々の処遇改善を同時にすすめていく責任が政治や行政にあることを強く実感し、北区の教育環境改善にむけ頑張りたい。

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