宇都宮章レポート
宇都宮章レポート
NO.123 2015年8月号
戦争法反対集会に70人参加。
「戦争法案反対神谷公園集会」
8月16日日曜日、午後4時から神谷二丁目にある神谷公園で「戦争法案反対神谷公園集会」が開かれ70人が参加しました。
集会の30分前からアコーディオン伴奏で新婦人のみなさんの歌声が響く中、戦争法反対集会はスタートしました。

神谷公園と戦争の関係
集会の実行委員長の開会挨拶は「今、皆さんが立っている真下が米軍爆撃でなくなった民間人350人以上の遺体が仮埋葬されたところです」と切り出すと一瞬ざわめきが起こりました。
平和の願いを打ち砕く戦争法案反対の声を神谷から国会へ届けようと訴えました。

そね都議のあいさつ
そねはじめ都議会議員は安倍談話にふれ、子どもや孫たちがアジアの国々とどう付き合っていくかはその時代が判断して決めることで、政府の責任は日本が侵略戦争でアジアで何をやったのか事実をきちんと学校や教科書の中で伝えていくことだと述べました。

東京土建神東分会長さんのあいさつ
最後のあいさつに立った東京土建会長は戦争経験者の話で、命令とはいえ敵の家に火をつけ焼き殺すこともしたそうだが、家を建てることを生業にしている人間には耐え難い苦しみだ。「平和でこそ家が建つ」と挨拶しました。

神谷に響く戦争法案反対の声
「戦争法案反対神谷公園集会」パレード
集会後、パレードに移り「戦争法案反対」のシュプレヒコールや歌声が神谷の町に響き渡りました。
参加者からは「小さな集会でも各地で起これば大きな力になると思います」と語っていました。
医療生協ピースアクション イン ヒロシマに参加して。
8月6日原爆ドームの前で。
8月6日原爆ドームの前で。
右が筆者
この夏、初めて広島の地に立った。
人類に落とされた史上初の原爆。70年前の出来事だ。広島の街は様変わりして、今は当時の面影はない。しかし、街中にはいたる所に慰霊碑と慰霊塔が目が惹く。

広島の人々は平和を願う強い思いで建立したものだろう。戦争を実体験しない私でも、原爆資料館で見た写真、様々な資料を目の前にすると、人々の痛さ、辛さ、虚しさ、口惜しさが、伝わってくる。同じ人間(アメリカ)がこんな惨たらしいことをするのかと怒りでいっぱいになった。

このアメリカを“希望の同盟”などと持ち上げる安倍首相!今一度70年前の戦争の惨状を見据えてくれ!私は殺されたくないし、殺したくもない。
(神谷堀ハイツ在住 O.T.)
【街の色】
王五団地祭りでがんばっています

池内さおり衆院議員と
そねはじめ都議が来店
団地祭りが始まった時から新婦人の班としてクレープ屋を出店していました。
各家庭で焼いたクレープを店で温めジャムをぬり50円で販売、評判でしたが焼いてくる作業が大変でやめました。
今年は「スーパーボールすくい100円」と「ポップコーン50円」を販売。
39回目を迎え、子どもたちも少なくなりましたが、「安くて楽しめる祭り」という自治会の趣旨にそって新婦人の会の宣伝もしながら続けていくつもりです。
(神谷一丁目在住・I.I.)
母親大会に参加して
第61回母親大会は戦争法案反対で一色
神戸での第61回日本母親大会に全国から述べ1万1千人の女性が参加しました。
一日目の石川康弘教授の講演がすばらしかった。
その中でもポツダム宣言の第6項は「日本国民を欺いて世界制服に乗り出す過ちを犯させた勢力は除去する」とあります。
これをつまびらかは知らなかった安倍総理は祖父と同じことをしようとしていると思いました。
「これから政府が踏んで、支持率を落とす地雷は4つ。川内原発再稼動、70年談話、辺野古基地、残業代ゼロ法案」というのもうなずけました。
M.A.
私の昭和20年 8月15日
戦争体験といっても空襲を記憶している最後の年代だと思います。
戦時中私は中野区鷺宮で親子五人、祖父、叔母、叔父、従姉の大所帯で暮らしていました。

空襲が激しくなり昭和20年1月頃、母の実家である福島県須賀川市の田舎に、私が六歳、妹が五歳の時、二人で疎開しました。
疎開する朝、食糧難の中、母が作った雑炊を、皆で食べましたが、喉を通りませんでした。

汽車が途中空襲で、何度か止まったような記憶があります。田舎に着くと一面銀世界。駅から2キロの雪道を、歩いてたどり着いた田舎の家は薄暗く寒々としていました。
夜行列車で帰る母と別れ、寝る布団の中で泣いていたのを覚えています。

昭和20年4月、早生まれで小学校へ入学、2キロの山道の行き帰り艦載機に狙われた恐怖を忘れる事は出来ません。
8月15日敗戦は先生から聞きました。薄曇りで暑い日だった。飛行機が一機、急上昇急降下を繰り返していた。これで、東京に帰れる母に会えると思いました。

疎開している間に祖父と父と叔母が病死、叔父が学徒動員、南方への輸送船撃沈され戦死、従姉は叔父の許婚でした。
今でも空襲警報のサイレンの音と、夜空を照らすサーチライトが目に焼きついています。
今、国会で審議されている戦争法案を、絶対に許すことは出来ません。
神谷在住K.H.(76歳)
【ギャラリー】
新田橋
東十条在住 N.K.(86歳)
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