宇都宮章レポート
宇都宮章レポート
NO.140 2016年12月号
街頭宣伝に報告会に生活相談にフル回転
王子で街頭宣伝
●12月8日(木)夕方王子駅北口に宇都宮章区議の声が響きました。
「築地市場を土壌汚染のある豊洲への移転は中止せよとそねはじめ都議と日本共産党都議団が小池都知事に申し入れをしました」などと街頭宣伝しました。
●12月3日(土)神谷ふれあい館で「都区政報告会」が行われ、そね都議の都政報告に続いて宇都宮章区議が区政報告をしました。
●11月30日の区議会・文教子ども委員会で「小中一貫校配置検討委員会報告書」が提出され、神谷中サブファミリーブロック(神中・神小・稲田小)が3候補のひとつになっています。来年2月の区議会で基本方針が報告される予定です。
●生活困窮者自立支援法にもとづいて小中学生を対象に学習支援活動を行うことになり区内一カ所目として東十条・神谷地区が選ばれ、年内もう1ヵ所実施予定。●区内の期日前投票所は現在5か所ですが東十条地区に1ヵ所創設されます。また神谷小学校投票所のスロープが改善される予定です。
●王子5丁目公衆トイレ廃止に各党派から存続が求められ、解体予算に加えて設計予算が付き、区は都とURに再交渉します。
〇今年もあたたかいご支援、ありがとうございました。
北区議会議員 宇都宮 章
そねはじめコーナ−
都政の闇を次々明らかに!
住みよいまちづくりに全力
 今の都政の一番の変化は、情報の透明化です。 小池知事が、東京五輪の会場や経費を協議する都・国・組織委員会・IOCの四者会議を公開させたことで、密室で作られた計画を露骨に進めようとする森会長の姿があらわになりました。
豊洲問題では、黒塗りで非公開だった東京ガスと浜渦副知事の詳しい交渉経過が、わが党の要求で公開され、石原知事当時に、汚染の存在を承知で豊洲を買収した実態も分ってきました。汚染実態が明白になれば移転中止の決断も十分ありえます。議会論戦で知事の“都民ファースト”を後押ししつつ、来年都議選で私を含め日本共産党が必ず勝利することが最大のカギです。
私・そねはじめは、ゆれ動く都政のもとで徹底して都民の利益と安全を守りぬいていく決意です。 宇都宮章区議と、高齢者や子育て世帯が安心して住み続けられるよう、自治会町会がとりくんでいる一人暮らしの方などの見守り活動を区や都が手厚く継続支援すること、UR団地の家賃減免導入、空き家活用や新規供給で都営住宅を増やすなど、住民本位のまちづくりに全力を上げます。公共用地の活用などで介護や保育など福祉施設の要望に応えられるようがんばります。 2016・12・9
都政報告会開く
 豊洲移転問題で忙しい日程のそねはじめ都議会議員と宇都宮章区議会議員のコラボで都区政報告会が開かれました。
そね都議報告
初めにそね都議から豊洲新市場の現状、オリンピック施設建設、子育て問題などについてお話がありました。
宇都宮区議からは自衛隊の南スーダン派遣に関連して平和憲法に対する区長の姿勢を質したことや待機児童問題、また神谷2丁目に新規開設した障害者グループホームのことなどをお話して頂きました。
国民の所得格差が広がったこともあり、貧困問題もお二人からお話がありました。都政・区政とも報告事項がたくさんあるとのことで、内容の濃い報告会でした。 質疑応答の後は、ストレッチタイムになり私のリードで体をほぐし、木元さんのギター伴奏で歌声を楽しみました。 神谷1丁目 K/Y
横田基地見学会
横田基地空域
横田基地
 
12月2日20人で横田基地を見学して来ました。広大な敷地にはオスプレイの姿はなく格納庫が見えるだけ。 以前嘉手納基地で耳をつんざく轟音を聞いた私は、静寂に驚きました。公害訴訟原告団の福本さんの話では、静かなのは偶然で、7種類の常駐機がいつ飛び立つのか、KC135やE3やオスプレイ等の飛来機がいつやってくるのか地域住民はもちろん日本政府にさえも知らされないと言う。  周辺6市町の人々はいつ飛行機が落ちてくるかと、常時不安にかられている。 ただし、基地内の米軍住宅や学校やゴルフ場の上は絶対に飛ばないと言う。
横田基地空域(左図参照)は1都8県に及び、民間飛行機がこの空域を飛ぶ時は米軍の許可が必要だから日常はこの空域を避けなければならない。
日本国憲法の上に日米安保条約があり日本政府は米の言うことはなんでも聞く。正に日本は米の植民地だ。 この条約は日米いづれかが「廃止」と宣言すればいつでも破棄できる。それを宣言する政府を一日も早く作らなければと思った1日だった。  <M・M.>
【街の色」
十条跨線橋架け替え予定
荒川にかかっていた4連トラス橋
荒川にかかっていた4連トラス橋
真赤に錆びた十条跨線橋(交番前)
真赤に錆びた十条跨線橋(交番前)
1895年製の銘板
1895年製の銘板 (2014年9月撮影)
東十条駅南口を出ると東北本線をまたぐ「十条跨線橋」があります。元々は1895年(明治28年)3月に東北本線が複線化された時の荒川橋梁の一部で、1895年(明治28年)から1927年(昭和2年)まで複々線化で撤去されるまで32年間使用されました。
その後4つに分割され、その一つが1931年(昭和6年)下十条(現東十条)駅の開設時に転用されました。橋の形式はポニーワーレントラス橋で長さは30・2m。イギリスのコクレーン社製で1895年の銘板が交番前の橋の斜め側面部にあります。この橋も老朽化して耐震問題のため、1年後に架け替え工事が予定され、再塗装もされず錆だらけで可哀想です。 <神谷 UT.>
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